「ねえ、知ってる? 今日は七夕なんだよ」
橋の手摺りに背を預けて、彼女が言った。
「タナバタ……?」
「Japanのお祭り。じゃあ、織姫オリヒメ彦星ヒコボシの話も知らないでしょう」
そう言って、彼女は僕に、『七夕伝説』のことを教えてくれた。
天の川に隔てられ、一年に一度しか逢えない恋人たち。
「それが今夜なんだって」
ふうん……。でも、どうして彼女は、僕にそんな話をするのだろう。

 

「もしも、このドナウのこっち側と向こう側に、恋人と別れ別れになったら、君ならどうする?」
「えっ?」
「どうする?」
どうするって言われても……。
じりじりと詰め寄る彼女。気のせいかな? 顔が恐い。
「ほら……、僕はまだそういう経験ってないからさ……」
「経験? 経験なんかなくたって、それくらい想像力を働かせればいいじゃない」

 

なんだか、今日はいつになく厳しいぞ。
──想像力……ね。
「えーと……。そうだ。ドナウはさ、橋があるから」
僕は手摺りを軽く叩いた。
「そういうことを言っているんじゃあないの」
はい。分かっています。だけど、世の中には簡単に想像できるものと、そうはいかないものがあって。
君に分かるかなあ? 分かんないだろうなぁ……。

 

彼女は、面倒そうに溜息をついた。
「じゃあ、恋人がボクだったら?」
え!?
「ボクと君が恋人同士だったら、寂しい?」
寂しくなんかあるものか。嬉しいに決まっているじゃないか!
「離れ離れになったら、寂しい?」
あ、そっちか。

 

「ねえ、どうなの?」
じりじりと詰め寄られる。少し潤んだ碧の瞳。
駄目だよ、それ以上近づいたら。
それにしても、いったい、何をそんなにむきになっているんだろう。
なんか……、なんだか、さっきより彼女の顔が歪んで見える。簡単に言えば、そう、今にも泣きそうだ。

 

「ユリウス」
「……何?」
彼女をそんな顔にさせる原因と言えば……、
「また、クラウスと喧嘩したんだね」
「え……」
彼女の大きな目が見開いた。

「原因は何?」
「な……なんで……」
「どうして、七夕の日に喧嘩するの?」
「だって……、クラウスが」
やっぱり。図星だ。
「今度は、何を言われたの?」
おおかた、また余計なことを言ったに違いない。
赤い服を着ればサンタだとか、青い服を着ればエルサだとか、黄色い服を着ればベルだとか、赤いマントを被れば……、もういい。

 

今日の彼女は、淡いピンクの服だった。ドナウに咲く紫陽花の色。
花言葉は、元気な女性。
とても似合っている。非の打ちどころがない。パーフェクト。僕には可憐な妖精にしか見えない。
それなのに……。さあ、何て言った? 何に例えた?
「お前は泳ぎが下手だから、織姫みたいに川を渡って来られないだろうって言うんだよ!」
……がくっ。
「は?」
「酷いでしょう?」

 

その時、遠くから微かな音。もちろん予想はついてていた。
その音は物凄い勢いで、こちらに向かって迫ってくる。
誰なのかは確かめなくても分かっている。
「ユリウスっ!!」
ほらね。
さてと、僕はそろそろ退散しよう。
背中越しに聞こえる平謝りの声。それに応える泣きじゃくる声。ありふれた光景だ。あほらしいくらい。

 

「ごめん、悪かったよ。か、川は俺が渡るから……」
「じゃあ、今すぐ泳いでみせてよ!」
「はあ? 普通は、そこで、そんなことはしなくていいって言うもんだろうが」
「何それ? 口だけ? 反省ゼロ?」

 

ああぁ、もう。
僕は、毅然として振り返った。
「ユリウス、そういうことを言っちゃ駄目だ。クラウスは、ちゃんと謝っているだろう」
途端に、しゅんとなる彼女。涙目で。
「……ごめんなさい」
「クラウス、あなたの精神年齢は幾つですか? いい加減、好きだから苛めるみたいな子供じみたこと卒業して下さい」
いつになく、無自覚に、僕の顔は怒りに満ちていたのだろう。
「わ、悪かったよ。そんなに怒るなよ、イザーク」

 

まったく……、
何度同じことを繰り返せば気が済むのだろう。
もしも僕が彼ならば、絶対に、彼女を苛めたりしない。
もしも僕が彼女の恋人だったなら。
毎日のように褒め称える。
赤い服も、青い服も、黄色い服も、どれもみんな似合っているよって。

 

──僕の、妖精……。

 

もしも一年に一日しか、君と会えなくなったとしても、寂しいとは思わない。
残りの364日は、いつだって、君への想いで溢れている。
もしも一年に一日だけ、僕だけの君でいてくれるなら、
残りの364日は、彼のもとへ飛んでいっても構わない。

 

 

 

 

喧嘩の後で改めて待ち合わせしたら、彼女が浴衣で現れた

 

 

 

 

「その恰好は何だ?」
直球質問。それくらい驚いたのだ。
「浴衣って言うんだよ。可愛いでしょう」
「ユカ……タ?」
白生地にスズランの花が描かれている奇っ怪な形の筒状の布を、まじまじと俺は見る。
「Japanで、お祭りのときに着るんだって」
何とも言えぬレトロな外見なのに、不思議と金髪にも合っていた。その髪は、ふんわりと結われている。白い項が眩しかった。
「そのぴらぴらの布切れを? 本当に外で着ていいのかよ?」
「ほんとだってば! マリア姉さまが教えてくれたんだから。これだって、姉さまが着せてくれたんだよ」

 

お前の姉さん、いつから、Japan通になったんだ?
そんなことよりも、だ。
「その襟……でいいのか? 見ているこっちが不安なんだけど。ボタンも何もないのかよ」
彼女の上半身が動くたび、襟元の合わせ目が浮き上がり、ちらちらと覗く肌色に、さっきから、俺は目のやり場に困っている。
「大丈夫。この帯っていうのがね、しっかりと留めているから」
「オビ? その頼りない紐のことか?」
どう見ても、片腕一本でほどけそうなシロモノなのに?

 

「もぉう、大丈夫だったら大丈夫なのっ」
彼女が一歩、足を踏み出す。すると、今度は下半身の合わせ目が大きく開き、可愛らしい膝小僧がちらり。
「おい、脚が見えてるぞ」
「きゃ、そうだった。姉さまに、しずしずと歩きなさいって言われたんだ」
「しずしず?」
「……しずしずって何だろう?」
「俺が知るか。だいたい、ここまでどうやって歩いてきたんだよ?」
「もう大変だったんだから。サンダルだから歩きにくくはなかったんだけど、布が邪魔して前に進まないんだよぉ。疲れちゃった……」

 

「文句言うなら、初めから着なきゃいいんだ」
「だって……、クラウスに見せたかったんだもん」
上目遣い45度。
「分かった、分かったよ」
どうせ俺を見つけて、大股で走ってきたんだろう。ちぇっ、可愛いやつ。

「で、これから何をするんだ?」
「そうそう。この紙に願い事を書いて、川に流すの」
ユリウスは、これまた古風な籠バッグから長方形の紙を取り出す。
「短冊って言うんだって」
「タンザク?」
そのうち、自分も、Japan通になりそうな予感がした。

 

「ね、ね、何てお願いする?」
「その前に、下へ下りよう」
俺は彼女の白い手を取る。彼女もぎゅっと握ってくる。
「足もと気をつけろよ」
「うん」
けれど、どんなに注意しても、上も下も浴衣は肌蹴て、俺はまた視線を泳がせている。
ユリウスは慎重に階段を下りている。普段より歩きにくいことが功を奏したようだ。
川辺まで歩き、二人並んで腰を下ろすと、結い髪の飾りが見えた。薄いピンクとグリーンの花。

 

「髪留め、可愛いな」
「……やっと褒めてくれた」
ユリウスが唇を尖らせる。
「いや……、浴衣、だったか。それだって似合っているよ。ただ……」
「ただ? なあに?」
彼女は躰を斜めに捩り、僅かに顎を上げた。鎖骨が覗く。
ああ……、座る位置を間違えた。だけど、離れたら彼女が怒るだろう。
V字に開いた襟もとから、俺は目が離せない。
咳払いをして。
「それで、願い事はどうするんだ?」
視線と話を同時に逸らした。
「んーとね……。あ、クラウスの今の一番の願いは何?」
そ……そんなこと、ここで言えるか!


♪。.:*:・'°☆♪。.:*:・'°☆♪。.:*:・’


その合わせ目の向こう側はミルキーウェイ。
天使と(小)悪魔が共存する世界……

 

 

 

 

『愛の挨拶ーLiebesgrussー』以前の話。初々しくて変わり映えしない二人です七夕

 

 

 

 

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