『湯の華遊戯』のユリsideです。
微かな鳥のさえずりが聴こえる……。
窓辺から、爽やかな風が吹き抜ける……。
ゆるゆると顔を上げると、骨ばった首筋に鼻先が触れた。一晩中、ボクを包み込む大好きな彼の匂い。
飼い主に擦り寄る小動物の気分。
いつもの幸せな朝が明ける。
──あれ? 頭が動かせない……。
ボクの乱れた髪の透き間を、一束一束縫いとるように長い指が絡んでいた。
その指が無意識に動いている。
──こそばゆいけど気持ちいい……。
とろとろと意識が揺らぐ。また眠ってしまいそうになる。
──いけない。起きなくちゃ……。
ボクは彼を起こさないように頭を抜いて、上半身をゆっくり起こした。
クラウスは、穏やかな寝息を立てている。寝顔だけは未だに少年みたいだ。
端正な横顔を暫し見つめる。
ゼバスにいた頃、校舎の影や池の畔で煙草を吸っていた横顔に、目が離せないときが何度もあった。
ぼんやりと遠くを眺めている物憂げな表情と、煙を吐くときの形の良い唇と。
──あれは見惚れてたっていうのかなぁ……?
突然振り向かれて、慌てて隠れたこともあったっけ。でも間に合わずに見つかって、いつものようにからかわれて……。
あの時は、池の畔だった。
『よう、お前も吸いたいのか?』
草むらに隠れたユリウスを、丸わかりだとばかりに、クラウスが上から覗き込んだ。
『だ、誰が……!』
『遠慮すんなよ。まあ座れ』
ユリウスは咄嗟に飛び出すが、呆気なく腕を摑まれてしまう。
『は、離せよ……っ!』
『そうつれなくするな、俺のエウリディケ。ん?』
『なっ! ボクは男だって言ってるだろ!』
『まあまあまあ。男たるもの、煙草の一本くらい吸えなくてどうする』
『君だって、まだ未成年のくせに……あっ!』
クラウスは片手に煙草を持ったまま、器用にユリウスの肩を抱き寄せた。
『相変わらず細っこい手してんなぁ。ベートーヴェンは弾けるようになったのか?』
『ほ、放っといてくれ!』
ユリウスは身動きが取れない。クラウスは、その手に吸いかけの煙草を持たせようとする。
『いらない! 離せって…ば……』
顔が赤くなっていくのが分かる。どうしよう……。
ユリウスは心臓の早鐘を抑えるのが精一杯で、ほとんど口がきけなくなってしまう。
『おい、クラウス!』
背後からの声に、二人同時に振り返った。
『ダーヴィト!』
『そんな喉に悪いものを、僕らのディスカントに与えないでくれ』
クラウスが怯んだ隙に、ダーヴィトはユリウスの腕を摑んで立ち上がらせた。
『大丈夫か、ユリウス?』
『ありがと……、ダーヴィト』
『ちぇっ、お前、こいつに過保護過ぎるんじゃねえか?』
『お前こそ、ユリウスにだけは、必要以上にちょっかいを出すよなあ』
ダーヴィトの意味ありげな言い方に、クラウスはギクリとなったが、ユリウスはそれどころではない。
『俺は別に……。こいつが、突っかかってくるからつい……』
『クラウスのばかっっ!!』
怒りと恥ずかしさと、一本の腕さえ解けない自分が不甲斐なくて、ボクはその場から逃げ去った。翌日、ダーヴィトがボクを慰めてくれたけど、今思うと、とんちんかんな質問をしたものだ。
『ユリウス、クラウスのこと、あまり気にするなよ。単に好きな子を苛めたいっていう、子供の心理さ』
『好きって……男同士なのに? 彼も君と同じってこと?』
『いや……、そういうことじゃあなくてだね……』
ダーヴィトは言葉を濁して微笑んだ。
何にも知らなかった。ダーヴィトに知られていたことも。
クラウスの心の中の葛藤も……。
その煙草も、いつの間にか吸わなくなって、理由を聞いたら、「お前の綺麗な歌が聴けなくなるのは嫌だから」って、ダーヴィトみたいなこと言っちゃって。
その喉すらも嗄れるほど、ボクを翻弄するくせに……。
見た目より柔らかな頬を人差し指で、つんと突く。
──飽きないなあ……。
いつまでも見ていたいけれど……。
──ちうしたい。
突然の欲求。そうっと唇を近づける。
Chu・・・「んっ! ん……」
軽いキスが熱い口づけで返ってきた。
「……お、起きてたの?」
「お前のキスで目が覚めた」
当然、それだけでは終わらなかった。起きぬけとは思えないほど燃える瞳がボクを射抜く。
それから、仰向けにされて首筋を強く吸われる。まるで吸血鬼に襲われているみたいに。
ざらりとした舌が鎖骨を這う。
あ・・・だめ・・・
声が……我慢出来ない。力で抵抗しても無駄だから、理由を言って懇願した。
お願い……。
今日は駄目なの。
ほ・・・ちゃんと解ってくれたみたい。だけど、あからさまに拗ねた態度。
もお……。
背中を向けた彼に近づき、さらさらの髪を指に絡めて、耳朶を軽く噛んだ。
「ごめんね」
ちょっと仕返し……、軽い気持ちだった。キスの意味なんて、(ボクの頭からは完全に抜け落ちていたし)まさか彼が覚えているなんて、思ってもいなかった。
それなのに、あんなことになるなんて……。
クラウスは、誕生日とかクリスマスに関係なくプレゼントを買ってくる。それもかなり頻繁に。
先月は、見るからに布面積の小さいナイトウェア。いくら夏だからって、あそこまで短いのを選ばなくてもいいのに、と思う。肌触りはふわふわで着心地も悪くないから、だからつい着ちゃうんだけど……、それを見て、彼が嬉しそうににやにやしてるのもシャクだけど……。
「これじゃあ、かえって寒いよ」
「じゃあ俺が温めてやるよ」
「何それ? そっちが目的? ……っくしゅん」
タイミング悪く、くしゃみが出てしまった。
「四の五の言わない。ほら来いよ」
「何にもしない?」
「お前、それ、恋人にする質問か?」
それは……そっか……。
ふんわりと、バックハグ。温かい……。
で、一昨日は、このモーヴピンクのブラとショーツのセット。ブラは、フリルのストラップと付け根には控え目なリボンが付いていて、凄く可愛い。ショーツは綺麗だけど、ヒップのレースがちょっとセクシィ過ぎるんじゃないかな……。
いったいどんな顔して選んでるんだろ。店員さんのアドバイスを聞いて? 既に、お得意様だったりして。
──まさか、ね……。
ブラを外してランドリーバスケットに入れ、ショーツに手をかけたときだった。
そこから先のことは──、前半はもう腹が立って腹が立って……。
勝手に横入りしてきて、ボクがほとんど裸でいるのを完全無視して、ボクの目の前でさっさと服を脱いで(目のやり場に困るじゃない!)、それだけでも頭から湯気が噴き出しそうなのに……、
あんな格好で引き摺り込まれて頭からびしょびしょにされて──、ボクがどれだけ恥ずかしいか分かる?
それなのに……、
そんなことよりも……、
あなたの声が、言葉が、甘い喘ぎが、
ボクの自制を狂わせる。
そうして……、舌と指が戒めのように全身に絡みつき、ボクの動きも封じられ、恥ずかしさは何処かに消えて、
今にも崩れ落ちそうになるのを必死に堪えて……、
靄がかかって見えるのは、湯気のせいなのか、自分の眼が霞んでいるからなのか……、
躰は熱いのに震えているのは何故なのか……、
それすらも判らないまま、
ボクは、あなたと一緒に何処までも融けてゆく……。
・・・オクレール先生への遅刻の言い訳、絶対に付き添ってもらうからねっっ!!
「こらぁお前ら! 俺のユリウスに触れるんじゃねーッ!」
こちらに仕上がりの過程を載せています