こちらは未だクリスマスでした
今思えばギリギリだなこりゃ…(何が?)(そんなんばっかしやん)(だから何が?)。
クリスマスの夜──
「クラウス、雪が降ってきたよ」
空から降る白い結晶に、ユリウスが両手を上げた。
「あっ、お前、手を出すな」
「ええ? ちょっとくらい大丈夫……」
「駄目だ。直ぐ冷たくなる癖に」
クラウスはユリウスの手を即座に摑み、コートのポケットに突っ込んだ。
「もう……、心配性なんだから」
「ばか、お前にだけだ。だいたい雪なんて珍しくもないだろが」
「パリの雪は初めてだもん」
──お前にだけ……。
心の中で、繰り返す。
「どうした?」
「……ボクに…だけ?」
ユリウスが嬉しそうに顔を上げた。
「ああ、そうだ」
クラウスは、彼女の頭を優しく自分の肩に引き寄せた。
「……ふふ」
「うん?」
「嬉しい……」
「何だよ、今さら」
その温かい肩に、ユリウスも首を傾ける。
「変なやつ……。おい、何か本降りになってきたぞ」
二人の周囲は、さっきとは打って変わったように真白の世界に変貌した。
「ほんとだ。真っ白だぁ。全然見えない」
と呑気にはしゃぐユリウス。
「だめだ、帰ろう。このままだと雪だるまになっちまう」
「雪だるまになるの? クラウスが?」
ユリウスがくすくす笑った。
「ばーか、お前の方が先だ。オレより小さいんだから」
「むぅ……、小さいって何? だいたいクラウスの方が雪に近いじゃない」
「何だとぉ? またつまんないことで噛みついて。急ぐぞ」
「はぁい……」
──ったく、いつまでたっても……。
「ちゃんと、そっちも入れてるか?」
クラウスは、いつも彼女の手を気にかける。
ピアノを弾く大事な指だから。それだけでもないようだけれど……。
「入れてるけど、転んだらどうするの?」
「お前を、転ばせるわけないだろ、ばか」
──もぉ……ばかばかって。でも、もういいや……。
彼が『ばか』と言う時は、いつも一緒に愛情が付いてくる。
大きな声でも、乱暴な言い方でも……。その中に心配と優しさが入っている。
それが最近漸く解ってきた。
──だけど、一日五回までだな……。
勢いよくドアを開け、二人して部屋に飛び込んだ。
まるで白い帽子を被っているように、互いの頭が雪にまみれている。
「大丈夫か? 直ぐに暖房つけるからな」
ユリウスの肩の雪を払い落としながら、クラウスが言った。
「うん、凄かったね。でも綺麗だったなぁ、クリスマスツリー」
そう語る瞳はツリーよりもキラキラしている、と彼は思った。
「やっぱり冷たいな」
クラウスは、ユリウスの手を取って、冷え切った指先に、はあっと息を吹きかける。
「なんでこんな日に手袋を忘れるかね」
「でも、クラウスが手を握っててくれたから……」
「大して変わんなかったな。あーあ、ほっぺたも冷えきって」
冷たい頬が、大きな手で覆われた。
「ふわぁ……あったかい……」
ユリウスが気持ち良さげに目を瞑る。
その青白い唇に、吸い込まれるように熱を落とす。
蕾が綻び、少しずつ赤みを帯びてくる。
コートも脱がずに抱き合う二人。
溶けた雪が滴り落ち、足元を濡らしている。
「……風呂、入れてくるよ」
「うん……」
「熱さ、こんなもんでいいか?」
クラウスに促され、ユリウスはバスタブに片手を浸けた。
「うん、ちょうど良いよ」
「よし。じゃあ、これを混ぜてみよう」
まるで科学者みたいな言い方である。
「なあに? それ」
クラウスが小袋に入った粉末をお湯に溶かす。袖を捲ってかき混ぜると、たちまちバスタブいっぱいに白い泡が膨れ上がった。
「わあっ、すごーい、もこもこだ」
「躰も温まるし、肌もすべすべになるらしいぜ」
「本当?」
「ユリウス……」
クラウスは、子供みたいにはしゃぐ耳もとへ囁いた。
「一緒に入ろう」
「えっ!?」
ユリウスは驚く。
「だ、だめ……」
「泡だから、見えないよ」
「で、でも……」
背後から、彼の腕が伸びてきた。
「駄目か……?」
「だって……」
「だめ……?」
腕の力が、少しだけ強くなる。
「もお……わかった……」
ユリウスは観念した。
腕と一緒に絡み付いた熱い吐息が、「うん」と言うまで離してくれそうになかったから。
「クラウス、あっち向いてて……」
「向いてるよ」
「絶対こっち見ないでよ」
「見ないよ」
クラウスは可笑しくて笑いを嚙み殺した。
背後から、ユリウスがそろりそろりと歩み寄ってくる気配がする。
─チャポン……。
ゆっくりと肩まで浸かる。泡に隠れた躰を確かめ、ユリウスはほっとした。
「もういいか?」
「う……うん」
肩までしっかり浸かっているのに、ユリウスはなんだか落ち着かない気分だった。
「お前、もうのぼせてるのか?」
早くも赤みを帯びている彼女の頬を見て、クラウスは訊いた。
「そんなわけないでしょ、ばか……」
つい憎まれ口が出てしまう。ドキドキを誤魔化したくて。
「そんなふうに髪を上げたの、初めて見るな」
彼女の髪は泡で濡れないように、ふんわりと纏め上げてあった。
「そ、そう……?」
ユリウスは、バスタブの隅に背中が貼り付いたようにしゃがんでいる。
バスタブは広くない。でも二人の間には、微妙な空間が。
クラウスは溜息をついた。
「こっち来いよ」
「やだ」
「お前さぁ、それじゃ一緒に入ってる意味がないだろうが」
「どうして? 入ってるじゃない」
──こいつ……、まさかマジで一緒に浸かるだけだと思ってねえよな?
クラウスは、泡から僅かに覗いているユリウスの二の腕を摑んで引き寄せた。
「きゃっ……!」
軽過ぎる躰はあっけなく逞しい男の腕の中へ。泡が派手に飛び散った。
「もうっ、危ないじゃない!」
あっという間に抱き締められた。
必然的に、肌と肌が吸い付くように重ね合わさる。
「は、離して……」
ユリウスは躰を押し戻そうと、バスタブの縁に両手をついた。けれど、思うように力が入らない。
「もう……無理だ」
結い髪の生え際から垂れ落ちる金の糸が、いつもよりも艶かしく誘っている。
クラウスは濡れた項に口づけると、髪の間に指を入れ、逃げられないように小さな頭を固定する。
首筋に、キスの雨。そのまま上へ滑らせた。柔らかな耳朶とその裏に……、そして内側へ舌を這わす。
白い肩が、ビクンと震えた。
「ク…ラウス……、だ…め……」
全神経が火照り出す。外側からも、内側からも……。
不意に、細い腰が抱き上げられた。
「え?」
彼女の躰が、彼の膝に跨るように乗せられる。
「いや……、見えちゃう」
「いいから……」
泡の中にいる自分が、どんな格好をしているのか……思い浮かべただけで、ユリウスは顔から火が出そうだった。
クラウスは、見え隠れする泡よりも白い二つの膨らみを、下側から両手で包み込んだ。
「はぁ……、っん……」
甘い音色が吐息に混ざる。
その音を飲み込むように唇を合わせる。
それでも耐えきれず漏れ出る声を、また塞ぐ。ただそれが繰り返される。
ユリウスは自分がのぼせているのか、それとも別の理由なのか分からない。
ただ熱くて、意識が朦朧として、視界が霞む。
浅いバスタブの中で、足が浮いているかの如く躰が漂う。
空気を求める魚のように、息が荒くなっていく。
もう抵抗する言葉も、気力も失せていた。
クラウスの片方の手が、彼女のラインに沿うようにゆっくりと泡の中に消えた。
「ユリウス……、ユリウス」
声に反応して、閉じた睫毛が僅かに揺らぐ。
「……う…ん……」
「大丈夫か?」
気がつくと、ユリウスはベッドの上にいた。躰はすっぽりとバスタオルでくるまれ、横たえられていた。
「ボク……、どうしたの?」
「のぼせて、ひっくり返ったんだよ」
優しい鳶色の瞳が、心配そうに覗き込む。
「そう…なんだ……」
「ごめんな。ちょっと、やり過ぎた」
「え……」
ユリウスは思い出して、また上気した。
「おっと……、考えるなよ。また目を回されたら敵わん」
「考えるなって……、そんなの無理……」
「水、飲むか?」
こくん、と頷く。
ゆっくりと抱き起こされ、背中を支えられた。
コップの水を一気に飲んだ。少し生き返った気がした。
ふぅっ、と息をつく。
「焦ったぜ、いきなり倒れかかってくるから」
「全然……覚えてない。クラウスが運んでくれたの……?」
「当たり前だろ? 他に誰がいるんだよ」
「は……、はだ、か……で?」
「お前さぁ、いい加減に慣れろよ。俺に見られるの、そんなに嫌か?」
拗ねるような目つきで、クラウスが軽く睨んだ。
「ち、違うっ! でも……」
「綺麗だって、言ってるだろう?」
クラウスは、まだ少し火照った小さな肩を抱き寄せる。
「お前の躰なら、どんなところだって……」
耳もとで囁かれた甘い言葉に、漸く治まったユリウスの顔が紅潮する。
「もぉう……、ばかっ」
ユリウスは枕を摑み、両手で肩の上まで抱え上げた。その途端、躰に巻いたタオルの端が、はらりと解ける。
「あっ!」
「おっと」
彼女の手から枕が落ちる。クラウスが肌蹴たタオルを押さえつける。
そのまま重なるように、二人はベッドに倒れ込んだ。
「それだけ元気なら……、もう大丈夫かな」
「何……が?」
「さっきの続き」
「えっ!?」
「無理なら、しない」
ユリウスは口を噤んだままでいる。
「何も言わないってことはOKか?」
「ばか……」
こいつの「ばか」は、いつも愛に満ち溢れている。
大きな声も、消え入るような囁きも、嬉しいくらい俺の耳を擽ってくる。
そんなことは、ずっと前から分かっていたことだけれど……。
彼の手が押さえたタオルが、同じ手で肌蹴られる。
結われた髪もほどかれた。
目覚めのキスで、魔法が解ける。
二度めのキスで、恋に落ち、溺れる前にもう一度……。
バスタブに漂っていた人魚姫が、解き放されたようにシーツの海で泳ぎだす。