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前話の続き。ユリウスVer.です。

 

ラストにアメブロ書き下ろし『ぶきっちょな恋人』追記しました本

 

 

 

 

その晩──ユリウスはベッドの上にしゃがんで、何度も溜息をついていた。

無意識に、右の胸に手を当てて。

──ここに……クラウスの手が。ここに、彼の大きくて熱をもった手のひらが……。

──熱かった……。服を隔てていても、彼の指一本一本が、ボクを溶かしてしまうかと思うほど……。

初めに、足にキスをされた時は、心臓が飛び出すほど驚いた。正に躰が跳ねたのだ。
ユリウスは膝を曲げ、足の甲にそっと手を触れる。

でもそれよりも……、それを遥かに上回るくらい驚いたのは……。

なのに……、
不思議と嫌じゃなかった。強がりではなく、本当に。
彼の重みと、彼の吐息と、口づけと……、彼の声がボクを包んで……。

まったく怖くなかったと言ったら嘘になる。でも、ほんの少しだけだ。
それは決して彼が怖いわけではなくて、
未だ知らない領域へ、踏み込んでいくことへの怖れ、ただそれだけ──。

その扉を開けるのはいつだろう?
一瞬と永遠の狭間を漂う瞬間。

いつか、その時が来て、彼に身を委ねても……、
きっと大丈夫。
彼なら──クラウスとなら……。

ユリウスは窓から空を見上げた。無数に煌めく星々を。

それよりも……、
どうしてあんなことを口走ってしまったのだろう。
彼が落ち込んでいたから? 少しでも気持ちを軽くしてあげたくて?

──よりによって、さ、触ってなんて! もっと他に言い方があったよね?

──あぁぁ……、思い出しただけで顔が熱くなる。

ユリウスは倒れるように枕に顔を埋めた。火照った頬がひんやりとして気持ち良かった。
気持ちよくて、欠伸が出て、眠くなって……、
そして、そのまま深い眠りについた。


 

 

 

〇年後


しわひとつ無いシーツの上に、ボクは横たえられている。一糸纏わぬ姿で。

熱く潤んだ鳶色の瞳が──ボクを見下ろしている。少しずつ近づいてくる。
少しずつ近づいて……、ボクの──ボクの……ボク、の!?

ーバチン!!

「ってぇ……」

咄嗟に手が出ていた。直ぐに、両手で胸を覆い隠した。
ワナワナと躰は震え、彼を思いっ切り睨みつけた。

「んだよぉ」

「や……、や……や……」

不満げに彼は呟く。ボクは衝撃で言葉にならない。

「触って、って言ったのは、そっちだろ?」

「だ……だって、なんで、し、舌……で?」

だって触るのは手だよね? 普通に考えたらそうだよね? 
それなのに、いきなり……なんで? ど、どういうこと?
ボクはその疑問を、必死で彼にぶつけた、つもりだった。
なのに彼は、
まるで愚問だというような表情で、ボクの手を外そうとしてくる。

「やん…っ」
「お前、またそんな声を──」
「え……?」

え? ぁっ、待って…………


ーばちッ!!

目が覚めた。
隣を見た。
誰もいなかった。

──あれ?

起き上がって周りを見渡した。
ボクの部屋だった。一人だった。
……服は着ていた。

──何……今の、夢? 
なんであんな夢。あれは……クラウスと、ボク……?

──ど、どうして? あんなこと考えながら眠ったから?
……落ち着いて……。夢なんだから。

そう、夢だ。夢──
 

 

 

 

翌朝──。

 

「ユリウス、なんだか顔が赤いわよ。熱でもあるんじゃないの?」
「えっ? ううん、な、何ともないよ」


思わずユリウスは母親から顔を背ける。

夕べの夢がまだ頭から抜けてくれない。気が緩むと、脳内があのシーンで埋め尽くされるのだ。その度にぶるぶると頭を振った。しかし油断すると、再びむくむくと湧いて出る。

「そう? なら良いけど」

「そうだ、昨日クラウスがな──」

ーガラガラガシャーン!!!

初め、ヴィルクリヒは、その派手な音の原因が自分にあるとは思いもしなかった。

「ちょっと、大丈夫? ユリウス」
テーブルから離れかけたレナーテが走り寄る。
「ご、ごめんなさい」
ユリウスは椅子から立ち上がり、床に落ちた食器を拾おうとしゃがみ込んだ。

幸い食器は割れずに済んだが、明らかに挙動不審な娘を、
「ユリウス、どうしたんだ? さっきから何か変だぞ」
母親だけでなく、ヴィルクリヒまで訝しげな顔で覗き込む。

「な、何でもないってば!」
ユリウスは咄嗟に立ち上がった。顔を見られたくなかったからだ。
「あ、ボク、もう行かなくっちゃ!」

「えっ? 朝食は?」
「いらないっ、行ってきますっっ!」

そう言うが早いか、ユリウスは家から飛び出していってしまった。
ヴィルクリヒとレナーテは、唖然として娘の背中を見送った後、同時に顔を見合わせる。

──クラウスと、何かあったな……。

口には出さないものの、心の中で、二人とも同じことを考えていた。
大人(特にこの二人)を甘く見てはいけない。
ユリウスの心の内側なんぞ、オブラートより薄いのだ。


 

 

 

その日の放課後。

ユリウスはクラウスに逢うのが、ちょっぴり怖かった。
いや、怖いとは違う、そう……恥ずかしい。
言ってしまったことは、もう取り消せない。今さら悩んだって仕方がない。

橋の上から、川辺にしゃがんでいるクラウスの姿が見える。
いつもはここで走り出すのに、今日は足が進まなかった。わざとゆっくり、ゆっくり歩いていく。

階段を途中まで下りたところで彼が気がつき、ゆっくりとこちらを向いた。
そして笑った。いつもより少しだけ照れ臭そうに。

刹那、ユリウスは駆け出した。階段の途中から。
彼が慌てて立ち上がる。

「こらぁっ! 走んなって言っただろーが!!」

いつもと同じ彼の声、大好きなバリトンに吸い込まれるように飛び込んだ。
ほっそりとした二本の腕が、彼の首に巻き付いた。

「ったく、また転んだらどうするんだよ? 同じところに傷、作る気か?」
「そしたら、またクラウスがボクを運んで、川の水で洗って、ハンカチを巻いてくれる?」

いつもと同じ彼女の声、愛らしいソプラノが彼の耳を擽った。
逞しい両腕が、華奢な背中を抱き寄せる。

「しょーがねえなあ……。また変な声、出すなよ?」
そう言って、クラウスは途端に赤くなったユリウスの顔を覗き込む。
「……ばか」
それを見られたくないユリウスは、頬の色が分からなくなるまで顔を近づけた。

必然的に……唇が重なる。

彼女の背伸びが辛そうなので、背中を支えながら少しずつ屈み、彼は地面に膝をついた。
彼女も同時に膝をつく。彼の顔は、まだ上だ。

クラウスの顔がユリウスの顔に覆いかぶさり、亜麻色の髪が金色の髪と溶け合うように絡み合う。

「これは、クラウスの、唇……」

目を瞑ったまま彼女は呟く。唇を啄むように重ねては離し、また重ねてを繰り返す。

「これも、君の……キス。これも……」
「俺のじゃなくて、お前のだろ?」
「ん……」

今度は、彼が目を閉じる。そして同じように口づける。

「俺は、近づいただけで分かるぞ」
「え、どうして?」
「この時点で、お前の匂いがするからな」

そう言うと、クラウスは彼女の鼻と自分の鼻をくっつけた。

「……うそ」
「本当だ」
「どんな匂い?」

「甘い、花の蜜のような……いつもそれで吸い寄せられる」
「クラウスって、蝶みたい」

一瞬の風が吹く。花びらが舞うように彼女が笑った。

「そう言うお前は、花というより蜘蛛かもな?」
「何それ?」

「甘い匂いで誘っておいて、俺を雁字搦めにして離さない」
ひどいっ! もおう!」


ユリウスは叫んで、クラウスに摑みかかってきた。二人はそのまま草地に倒れ込む。
彼の上に、彼女の躰が重なって、
見えない糸が少しずつ、彼を絡め取っていく。

「ほらな、もう俺は動けない」

彼の腕が、彼女の躰を抱き締めた。甘美な匂いが躰中に広がった。

 


 

 

ピロートーク予行演習

 

なんだか安心する。心臓のリズムが聴こえるからだろうか。

「夕べ、夢を見たの」
近くの枝葉から鳥の鳴き声。
「何だよ? 藪から棒に」
「クラウスが出てきた」

「俺が?」
「それから、ボクも」
「お前も……?」

「ベッドの上で、二人で」
「ベッドの上?」
そりゃなかなか良い夢を──
「それでね、クラウスがね、ボクのむ、胸を……」

ーガバッ!!
クラウスは飛び起きた。
その弾みで、ユリウスは草地へずり落ちた。
「な、何? びっくりするじゃない」

「俺が、お前の胸をどうしたって?」
(注)昨日の出来事ではなく、夢の話である。
「え? えーと、あれ? 忘れちゃった」
あからさまに目が泳いでいる。

──嘘つけ。

「お前、その夢で俺を引っ叩いただろ?」
「え!? な、なんで分かるの?」

ユリウスは目を白黒させている。

「俺も同じ夢を見たからだよ……たぶんな」
「え……え? 嘘だ! そんなことあるわけ──」

「じゃあ、どうしてお前は、夢で俺を引っ叩いた? 言ってみろ」
クラウスはニヤリと笑った。

出た出た、いつもの悪い癖が。

「む……無理っ! 言えないっっ! 絶対!! 死んでもっ!!」

ユリウスは真っ赤な顔でふるふる震え、碧色の瞳を目いっぱい見開き、クラウスを睨みつける。

何故か、両手で胸を覆い隠している。
バレバレである。

──おいおい、デジャヴかよ。

「……死なれたら困るな」
ユリウスは、首を縦にブンブン振った。
「分かった……、もう訊かない」

明らかにホッとしたユリウスの両手が緩む。透かさずその手を引き寄せた。

「きゃっ!」

彼女の躰が彼の膝の上に乗る。スカートがふわりと広がった。
クラウスは、ユリウスの顔をじっと見つめる。

「訊かないから、その代わり」
「え?」
「何年か経ったら、同じことをさせてくれ。引っ叩く前に」

ーバッチーン!!!
「ってぇ……」
──やっぱり、デジャヴだ。

ユリウスは両手で顔を覆って下を向いている。髪の隙間から真っ赤になった耳朶を覗かせて。
でも、彼女の躰は彼の膝に乗ったまま。(可愛いの)

引っ叩かれた左頬は、痛みよりも温かさが勝っていた。

 

 

 

 

 ~アメブロ書き下ろし~

ぶきっちょな恋人手袋

 

《羊が編み物をしている》看板の店から出てくるユリウスを偶然見かけた。母親と一緒だった。

小さな紙袋を大事そうに胸に抱えたユリウスは、とても嬉しそうだった。
これから家に帰るのか、それとも食事でもするのだろうか。

 

あんな理不尽なことを十五年間も強要されて、よくも屈折せずに育ったもんだと──ゼバス時代の彼女はだいぶ捻くれていたが──仲睦まじげな母娘の後ろ姿を眺めながら、クラウスは思う。

なんだか幸せのお裾分けを貰ったような気分になり、普段なら素通りするスイーツショップの店頭に並べてあったキャンディの詰め合わせを手に取り、レジに向かった。
勿論、自分用ではない。

また子供扱いして……と文句を言われるかもしれない。不満げに頬を膨らませて。
でも、そんな顔を見るのも悪くない。


「鼻歌なんか歌って。ご機嫌じゃないか」
部屋に入ろうとして、隣の部屋から出てきたダーヴィトと鉢合わせる。
「べ、別に……」
咄嗟にクラウスは、手に持っていたキャンディの袋を隠した。
「また随分と可愛らしい袋だな」
しかし、ダーヴィトは見逃さない。
「だけど、子供扱いするなって言われそうだな」

「お」
クラウスは叫んだ。
「お前が先に言うんじゃねーよ!」
ダーヴィトは何でもお見通しである。


デートの日、ユリウスはゆっくりと階段を下りてきた。どうやら学習したようだ。
彼女は、クラウスの前に立ち、にっこり笑って小さな包みを差し出した。
「はい、これ」
「え、俺に?」

「うん」
中身は薄いブルーのハンカチだった。
「クラウスのはこの前、汚しちゃったでしょ。だから、お詫びとお礼を兼ねてプレゼント」
「おぅ、ダンケ」
そんな気を遣わなくても良いのに、と思いつつも素直に嬉しかった。クラウスはハンカチを広げる。
角っこに刺繍というものだろうか、ぐじゃぐじゃっとした糸が縫い付けてあった。

──何だこりゃ?

「何だか……分かる?」
おずおずと、ユリウスが訊いた。

──え?
クイズ?

「もしかして、お前が縫ったのか?」
「そうだよ」
ユリウスは期待を込めたで、クラウスを見つめる。

こ、これは──外したらヤバいやつでは?
──何だろう?
オタマジャクシか。いや、ヘビ?
──まさか。
色は黒。片側に丸い頭。じゃあ……。
ええい、イチかバチかだ。

「……お」
「そうっ、音符!」
(フライングにも程がある)

「お」
──音符う?
クラウスは、食い入るように刺繍を見た。
ヘビの頭みたいのは音符の符頭たまだったのか。で、胴体に見えたのは符尾はただったと。
──で、符幹ぼうは何処だ?
 

 

「八分音符だよ。良く分かったね、クラウス」
ユリウスが嬉々として喋りだす。
「酷いんだよ、ヴィルクリヒ先生なんか、オタマジャクシかヘビにしか見えないって言うんだよ」
──あっ、ぶねえぇ……。
「ホントはね、ヴァイオリンにしたかったんだけど、母さんが初心者には難しいって」


いやいや、難しい以前の問題だろ。

次は、コントラバスにしか見えないハンカチを「ヴァイオリンだよ」と言って渡されるのではないだろうか。

「お前」
ふと。ユリウスの手に目がいく。
「どうしたんだ? その指は」

「え? これ?」
彼女が手を広げると、左右の指に絆創膏が巻かれていた。右手は人差し指と中指、左手は親指と薬指。見事にバラバラである。
「えっと、初めてだから、あちこち針を刺しちゃって。あ、でも全然大したことないから」

「馬鹿っ! 大したことないじゃねぇ! お前はピアニストだろうがっ」
びくっとして、ユリウスが黙る。
──しまった。
「わ、悪い……つい」
あぁ、またやってしまった。
「ごめんなさい……」
「いや、俺の方こそ、いきなり怒鳴って悪かった。だけど気をつけてくれよ」
──将来、俺専属のパートナーになるんだろう?
「うん、……ごめん」
「ハンカチ、ありがとな。大事にするよ。お前の血と汗の結晶だもんな」
「う……ん」

ユリウスは言葉を詰まらせ、円らな瞳から大粒の涙が……。
──あ、マズい……。
焦ったクラウスは、昨日買ったキャンディの詰め合わせを、ポケットから引っ張り出してユリウスの手にのせる。


ラッキィなことに、彼女の涙はそこで止まった。
「クラウス……」
止まったけれども。
「ボクのこと、幾つだと思ってる?」

泣かれるのと怒られるの──どちらを選ぶ?


 

 

 

前話でいただいたコメントからヒントを得ました(Aさま、いつもありがとうございますピンク薔薇)。

pixivにも追記しました。

こんな昔の話に新たなエピを加えるのは初めてかも。

見切り発車で、なっがいシリーズの投稿をアメブロで始めましたが、新規の読者様だけでなく、再読して下さる方のために、今後も小さな楽しみをお届けできたら嬉しいです飛び出すハート