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2021年6月pixiv投稿。

 

こちらは、魚しっぽ小魚が出世魚になった話魚あたま

 

フランス語でエイプリルフールのことを「Poisson d'avril (ポワッソンダヴリル)=4月の魚」と言うそうですうお座

タイトルは、4月を8月に変えたもの。

 

 

 

 

パリの士官学校に通っていた頃の話である。
或る日の午後のことだった。
帰り支度をしている俺を、数人の生徒が必要以上に眺め回して、何故だかくすくす笑っている。
どうせまた──田舎出の平民だとか、貴族の女にべったりの腰巾着だの金魚の糞だの、昨日と変わり映えのしない揶揄からかいのネタを拾い上げ、貴族同士でわらい合っているに違いない。
以前から、陰口を叩かれているのは知っていた。

「女だてらに」
「じゃじゃ馬め」
「じゃあ、差し詰めあいつは、じゃじゃ馬らしか」
「馴らせると思うか? あの暴れ馬を。ひょろひょろの平民が」

まあ、悔しいが、言っていることは当たっている。じゃじゃ馬なんて可愛いもんだ。同じ屋根の下で暮らしてみれば直ぐに解る。ジャルジェ邸体験ツアー(一泊二食・剣術稽古付き)に一度招待したいくらいだ。
子供の頃、初めて彼女に会った時、可愛い──と思ったのは一瞬だった。
思わず……、苦笑いが零れる。

入学当初──心無い下劣な言葉一つ一つに怒りを露わにする前に、彼女の方が先に相手に突進していき(しかも躊躇なく剣を抜く)、俺は止めるのに必死だった。暫くして、賢明なことに、彼女も俺も体力と精神の無駄だと気が付いて、それは今でも持続している。
という訳で、今回も、俺は聞こえない振りをして外へ出た。
──相手にしないのが一番だ。

「アンドレ・グランディエ」
そう思った矢先に、呼び止められた。
名前を口にするのも穢らわしい、と言っていたのは何処の貴族だ?
「背中にゴミが付いているぞ」
──誰だっけ?
あぁそうだ、入学早々、無謀にもオスカルにちょっかいをかけ、剣術の授業で、こてんぱんに打ち負かされたサミュエル・ド・クレメントとかいうやつだ。

「ゴミ?」
腕を回そうとしたが届かない。首を傾けると、紙のようなものがはたはたとひるがえっているのが見えた。
「悪いけど、僕は取ってあげられないよ。父上から、平民とは一切接触するなと言われているんだ」

──喋るのは問題ないのか?
と訊こうとしたが、馬鹿馬鹿しいので黙っていた。
すると、「そうそう」と同調するように、しゃしゃり出てくるやつがいる。
それこそ年がら年中サミュエルに引っ付いている、確か名前はヴィクター・ド・ローレンだ。
「クレメント家ほど厳しくはないけれど、ローレン家には、なんじ、三代続きの平民とは関わりを持つべからず、という家訓があるんだよ」


悪かったな、筋金入りの平民で。
だいたい、そんな中途半端な家訓があるか? おおかたサミュエルの話に便乗して、その場で適当にこしらえ上げたものだろう──と思ったが、やはり面倒なので黙っていた。
何だ何だ揉めごとか、と暇な野次馬連中がわらわらと群がってくる。
出来ればこれ以上のトラブルは避けたかった。俺だけの問題では済まなくなるからだ。
「通してくれないか」
俺は、一歩前に出る。
「おい聞こえたか?」
「聞こえないなあ」
いつになくしつこい。いったい何がしたいんだ?
俺は、心底うんざりした。


「これは──何だ?」
彼女が現れた。燦然たる光を伴い。本当にそう見えたのだ。
瞬時に、その場の空気が変わった。
「誰だ? こんなものをアンドレの背中に貼ったのは」
オスカルは、俺の背中の紙を剥がし、高く掲げる。


「エイプリルフールだよ、ジャルジェ君」
サミュエルが言った。
「その魚を見れば解るだろう」
「エイプリルフール?」
オスカルは、魚と言われた絵に視線を移す。其処そこには、確かに魚らしき形の絵が描いてあった。
「へえ、君でもらないことがあるのか」
続けてヴィクターの高い声。
しかし何故かオスカルは、魚から視線を動かさない。
「おい、エイプリルフールを知らないのかと訊いているんだ」

「この下手糞な魚は君が描いたのか?」
オスカルはサミュエルを見上げて言った。ヴィクターの問いは完璧無視である。
「なっ、何だとぉ!?」
サミュエルは真っ赤になって激昂する。
「いや、失礼。だが──どう見てもこれはニシンには見えない。いいとこメダカだ」
オスカルは不敵な笑みを湛えると、サミュエルに向かって魚の絵をひらひらと見せつけた。
おいおい、無駄に喧嘩を吹っ掛けるのはめたんじゃなかったのか。
「はあ? ニシン? それがニシンに見えないからって何か問題でもあるのか?」
ヴィクターが目を吊り上げて彼女に詰め寄る。無視されたことが、余程腹に据えかねたようだ。

「へえ、君も知らないのか? Poisson d'avrilエイプリルフールの魚は、元々はニシンなのだよ。ぼうずの漁師にニシンを釣らせたことが始まりだ」
「ぼ、ぼうず……?」
「加えて、此処がイギリスなら、今日はもうエイプリルフールではない」
「イギリス……だって?」
ヴィクターはオスカルよりも背が低く、加えて童顔、傍から見ると、まるで兄が弟に言い含めているようだ(とても口には出来ないが)。

「何故なら、イギリスでは、エイプリルフールは当日の午前中で終わるからだ。つまり、間もなく日が暮れようとしているこの時刻に、イギリスで同様のことをしでかしたら、君たちは周りから愚か者扱いされるどころか、嘲笑の的間違いなしだ」
ヴィクターは、最早ついていけないようだった。
「此処はっ、イギリスじゃあない! フランスだっ!!」
と、今度は半分及び腰のサミュエルが果敢にも言い返す。

その姿が、一昨日おとといの剣術の授業を思い起こさせ、俺は吹き出しそうになった。
オスカルよりも頭一つ長身でガタイのいい男が息を吸う間もなく突かれる姿を──俺以外は、誰一人として予想していなかったに違いない。

「そもそも、エイプリルフールとは──」
オスカルは街頭演説のようにぐるりと周囲をめ回した。さあ、こうなったら、誰も彼女を止められない。
「エイプリルフールとは、罪のない嘘やジョークで笑わせても良い、という習慣だ。勿論、由来や始まりは世界各国で様々な説がある。しかし良いか? 肝心なのは遣り方だ。罪のないジョーク、だ。こんなふうに寄ってたかって、大勢が一人をおとしめる、と云う行為ではない。君たちは根本的に間違っている。いや、骨の髄まで、性根が腐り切っている!」

そ──そこまで言うか?
サミュエルもヴィクターも、今や茫然自失、戦線離脱、白旗降参の三段活用状態だ。

「だいたい君たちは、皮膚の皮一枚も、アンドレを驚かせても笑わせてもいないじゃないか。基本がなっていないのだ。ばあやにでもねえやにでも質問して、もっとユーモアの神髄を勉強して来い! あぁ、全く以て勿体ない、お前らは知らないかもしれんがなぁ、アンドレは笑うと可愛いんだ、太陽のような笑顔なんだぞっ!」

そ、そ、それは関係ないのでは……?
それに、だんだん口が悪くなってるし。
けれども。
やがて。
まるで潮が引くように、気がつけば──そして誰も居なくなった。
俺とオスカルだけを残して。

「なんだ、もう終わりか。口ほどにもないやつらだな。つまらん」
「オスカル、今日はえらく容赦がなかったな。ストレスでも溜まっていたのか?」
笑うと──のくだりは、聞かなかったことにする。
「今日の外国語の授業、何回欠伸を堪えたと思う?」
オスカルは、口をへの字に曲げた。
「ああ、日本語の?」
「やっと単語が繋がったと思ったら、最後まで『おはよう』『こんにちは』『こんばんは』の繰り返しだ。ということは、次は何だ、『ごきげんよう』『さようなら』『おやすみ』を繰り返すのか? いったい何時限目になったらまともな文章を読めるのだ」

『すきだ』『あいしている』『おれのおすかる』を入れて欲しい──と思ったが黙っている。
「仕方がないよ、俺たちには偶々たまたま日本人の家庭教師が付いていたけど、他の連中は」
「外国語だけではない。剣術も、いや剣術こそ、レベルによってクラスを分けるべきだ。わたしは何時いつまで初心者相手に、チャンバラゴッコをしなければならんのだ!」

チャンバラゴッコとは、例の家庭教師から教わった日本の言葉だ。おもちゃの剣を振り回す──日本のこどもの遊びらしい。
成る程、本当のストレスはそっちだったか。
だからって、なにも狐の威を借って憂さ晴らししなくても……。
なんて口走ろうものなら、矛先がこっちへ向くこと必至なので、やっぱり俺は黙り込む。
そのうち自分は貝になってしまうのでは──と少し不安になってきた。

「何を他人事ひとごとのような顔をして、へらへらしている」
「へらへら……?」
「言っておくが、お前もチャンバラゴッコに毛が生えた程度なんだぞ」
人は図星を突かれると、
「……う」
本当に貝になる。
「帰ったら、早速稽古をつけてやる」
俺は途端に、屋敷に帰りたくなくなった。
そして帰りの馬車の中で、誰か俺を海に放り投げてくれ──と真剣に願った。

 

 

 

 

魚が泳いでいる。
天と海の境界を。

水の音はしない。
しているのかもしれないが、海鳥の声に搔き消されている。

虹色に揺らめく尾びれ。
ぬらぬらと艶めく鱗。
風が撫でる水面を、右へ左へしなう躰。

摑もうとするが、
ぬるりぬるりと逃げていく。

海に融けた瞳が誘う。
──どうした? 
捕まえられないのか、と。
それは誰かの声に似ていた。

俺は裸で泳いでいる。

足首まである黄金こがね色に波打つ髪。
その一筋一筋が、触手のように忍び寄り、俺の躰を蹂躙する。
青白く透ける肌。
嗤うように燦めく鱗。
ふるふると揺らぐ胸。
その起伏に触れたい。辿りたい。
唇を、這わせたい。

……胸?
髪……?
肌……?

否、魚だった筈だ。

たしかに、先刻さっきまでは、
──魚だった筈だ。

 

 




草原を転げ笑う金の髪に触れたのは何時いつのことだったろう。
風に棚引く金モールに絡む髪に、触れられなくなったのは何時のことだったろう。
苦しみに見悶えようとも、昨日の自分には戻れない。
絶望しか感じなくとも、前に進むしかない。足下から伸びていく己の影を追うように。


──お前が欲しいよ……。


心の奥で何度も叫んだ。
感情を露わにし、伝わらない言葉を闇雲にぶつけた日もあった。

太陽を捨て、
月に縋り、
闇に隠れ、
水に消える星を摑む。
何時までも──何時までも摑めない銀色の鱗を。

……お前を、連れていきたい……

鼓膜ではない、脳髄に響く甘露な声が俺を誘う。
濡れそぼる髪に蜘蛛糸のように巻きつかれ、手繰り寄せられ、身動ぎひとつ出来ぬまま……、
何処までも沈んでいく。
闇黒の層、海のみの世界。
何処までも底はない。
何処までも。
やがて……、
未踏の壁を何かが破り──爆発的な眩しさが二人を纏った。



余りの眩しさに目が眩む。ふと見ると、腕のなかに魚がいた。
「いや……、待て」
ごしごしと目をこすり、つぶさに入念に、その魚を観察する。
早朝から容赦のない日射しが窓を抜け、カーテンを溶かしている。光は既に、床と壁、寝台までも侵食し、足もとまで達していた。

「ぅん……アンドレ、起きて……たのか」
陽光に染まる薔薇色の肌。
夢で見た虹色の尾びれが、シーツに緩やかな波を生む。
「おはよう、オスカル」

刹那、鱗は空気に昇華して、
すらりとした白い脚が俺に絡んだ。



 

 

いとも簡単に手折れそうな細い手首を両手で捕らえる。

この手首が剣を持ち、一度ひとたび戦闘態勢に入ると、力と気で溢れみなぎり、その背後にほのおが立つ。屈強な男ですらたじろぐほどに。
そのしなやかな剣さばきを、いったい誰が想像するだろう。
知っているのは自分だけだと、心の奥で密かに微笑む。

仄かに戸惑い泳ぐ瞳が愛らしかった。

「アンドレ」
揺らぎは直ぐに睨みに変わる。
「これが、起きたばかりの相手に対してすることか」
「え? 誘ってきたんじゃないの?」
「……何を朝から寝惚けたことを抜かしている」

いつもよりワントーン低い声。そして棒読み。
機嫌が悪い合図サインである。
普通の男なら、恐らくここで怯むだろう。しかし彼は残念なことに慣れている、いや、馴らされている。

「そんな腰が砕けそうな声を耳もとで囁かれて、平常心でいられる男がいると思ってる?」
「腰が砕けそうな声とはどういう声だ?」
「お前だって、脚を絡めてきたじゃないか」
「海で溺れた夢を見ていた」
「は?」
「違うな、魚になった夢だ」
「……魚は溺れないと思うんだけど」
「そうしたら、ちょうど摑まりやすそうな棒が見えて」
「俺は、棒……?」
「手首が痛い」
「あ、ごめん」

アンドレは慌てて手を退けて──逃げるように揺らぐ起伏が白い布に隠れる前に捉え、包み込み、薄桃色の頂を口に含んだ。
その瞬間、彼女は、男のなかで魚になった。
甘やかで儚い恋人たちを、窓から覗く夏天かてんだけが知っていた。

深く深く押し隠してきた想いと、
深く深く埋もれていた心が漸く交差してから、まだ日は浅い。
けれど──もう何年も月日が経っているかのように互いの躰は馴染んでいる。
オスカルは、アンドレの眉間と目尻に寄る皺に手を伸ばし、そっと撫でた。
幸福しあわせの皺が、苦悩のそれより濃くなるのは──もう少し先だろう。

「何を考えている?」
「……皺の数を、数えていた」
「皺だって?」
アンドレは思わず額に手を当てた。
「そんなに目立つ?」
オスカルは眉間に皺を寄せる。
「皺くらいで男ががたがた言うな。人間なら誰にだってあるだろう」
「お前には無いよ」
アンドレは直ぐに言った。
それから、彼女の眉間を優しく撫でた。


 

 

 

 

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