おばあちゃんのがん | 子ども達と自然に暮らそ!

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十和田で耳つぼジュエリーのおうちサロンをする傍ら、
子育てがラクに楽しくなるように、
自然食、自然療法などを取り入れながら、
子ども達との自然な暮らしを提案しています。

前回の記事で、

おばあちゃんが脳梗塞後、

要介護5から要支援1までに回復した話を書きました。

人の脳ってすごいな~って思います。

判断能力や記憶を司るところがやられてしまったけれども、

日々孫達からの刺激と笑いと食事と運動で、

ここまで回復するんですから。

脳が半分なくなった方でも、日常生活が普通に送れてしまうこともあるようですし、

機能しなくなったところをきちんと他のところでつないでくれるようです。


そして、脳梗塞になりながら、

薬も飲まず、何事もなく7年が経ちました。


病気の時は、私もなんとか元気になってもらいたい。

自分の力で日常生活を送れるようになってもらいたい、

という思いで介護をしていたので、全然大変とは思わなかった。

日々、回復していく中で、私の介護に取られる時間も短縮し、

余裕も出てきました。


はじめこそ、

「元気になってありがたい」

と思っていましたが、そのうち、

元気なのが「あたりまえ」になり、

「ありがたさ」がなくなってしまいました。



回復してきて、日常生活が普通に送れるようになってくると、

こちらも、『自分でこれくらい出来るでしょ?』

『言わなきゃ何にもしないで座ってばっかりで、自分でこれくらい出来るでしょ?』

『出来ないんじゃなくて、やりたくないだけなんでしょ?』


だんだんそんな思いがわきあがってきて、

おばあちゃんに冷たくすることもありました。

そんな私の様子を見て真似してか、

子供達も、おばあちゃんを怒るようになってきてしまっていました。


すると、おばあちゃんも、

「はいはい。ごめんね。おばあちゃんがみんな悪いんだよ」

が口癖のようになってきてしまっていました。


そんなある日、

『腰が痛い』

というおばあちゃん。

「また、座りっぱなしだからだよ。階段(スーローピング)やって!」

「散歩いっといで!」

と、とにかく歩かせて、

姿勢が悪いからだとエゴスキューやらせました。

いつもなら、2,3日やれば元に戻るのに、

今回は、1ヶ月たつころにはさらに悪化し、

1人でベッドから起き上がれないほどに。


そこまでやって、はじめて、

これは普通の腰痛じゃない、と思い、整骨院へ。


そこで骨粗鬆症による圧迫骨折だったことが判明。


コルセットを作り、

病院と薬が嫌いだったけれど、こればっかりは私の手に負えないと、

自分で打つ、フォルテオという骨を作る注射を続けることにしました。


私も、自然療法を過信し、病院に連れて行かなかったことを後悔し、

もっと早く病院に連れて行ってあげてたら、こんなに痛がらなくて済んだのに、

と反省。

おばあちゃんには無理な運動をさせることをやめ、

とにかく食事をしっかり摂らせることに専念しました。


それからは、注射がなくなったら通院を繰り返し、

半年ほど経ったでしょうか。

骨密度を測るのに採血したら、

異常な貧血であることが判明。


すぐに血液内科で精密検査した方がいいということで、

別の病院の血液内科を受診し、即入院して、輸血する必要があるとのこと。


それまで、それでも夜は自力で起きてトイレに行けてたおばあちゃん。

入院してすぐに、急激に起き上がれなくなり、

顔も病人顔になり、

お見舞いに行くたび

「もう、うちには帰れないのかい?」

と聞いてくるような弱気になってしまいました。


血液検査の結果は

『多発性骨髄腫』という血液のがんでした。


結局、骨粗鬆症になっていたのも、

この病気のせいで骨を溶かし、赤血球が作られなくなるため、

重度の貧血になっていた、ということがわかりました。



病院を転院して、治療方針を決めましょうということになり、

お医者さんの話を聞き、うちで家族会議を開きました。


・この病気は、抗ガン剤で完治する病気ではないこと。

・治療すれば、余命が伸びるであろう、いい薬もいろいろ出ているとのこと。

・抗ガン剤の種類としては、そんなにきつい物ではなく、

 一般に考えられている抗ガン剤の副作用も軽いであろう事。

・緩和ケアを望むのであれば、検査は一切せずに、

 痛みが出れば痛み止めなどの対処療法としてのみ医者が介入すると言うこと。

・抗がん治療をすることで、薬の効いてる間は認知症の症状が進むであろう事。



抗がん治療をするリスクと、抗がん治療を受けないリスクを説明してもらい、

最終的に、夫婦で話し合って、

抗がん治療を受けないことに決めました。


多少なりとも、抗がん治療により、苦しい思いをし、

孫達と離れた入院生活を送るより、

余命を孫達に囲まれて楽しく生きた方が幸せなのではないか。

私達にとっても、子育てしながら往復2時間の病院への付き添いは負担であること。


ならば、うちで、おばあちゃんにやってあげられること、

いろいろあるじゃないかと。


自然療法だってずっとやってきたこと。

体温を上げる方法もいろいろ知ってるじゃない。

温熱療法だってあるし、

ホメオパシーも使える物があるだろうし、

びわの葉療法だってできるし、

ケーシー療法のひまし油もオーラグローオイルでマッサージだって出来る。

足湯したり、

オルゴール療法だって使えそう。

アロマオイルもいいのに出会ったし、

「健美葉」という奇跡の植物といわれるマルンガイにも出会った。

雑穀もあるし、

発酵食品も味噌、甘酒、塩麹、いろいろできるじゃない。



病気だと分かって、はじめておばあちゃんの耳をさわってみてびっくりした。

ものすごく堅いのだ。

耳がプラスチックの板みたい。


腰に対応するところは赤黒くなり、

まさに炎症がある耳。

ああ、こんなに堅くなってたのか~。目



不思議と、病気だと思うと、私のおばあちゃんに対するイライラはなくなった。


おばあちゃんががんになったのは、

おばあちゃんが作り出したものかもしれない。

「私なんて、何の役にも立たない」

「消えてしまいたい」

だから自分を攻撃する病気になったのかもしれない。


でも、もう一方で、

私にとっても、病気はサインであったのだと思う。

『病気のときはおばあちゃんにイライラしない』

という私の想いが作った現実なのかもしれないということ。


いづれにしても、

病気は何らかのお知らせであると思っています。


食事と運動は気を付けていた。

あとは心の問題。


それに気付かせてくれたおばあちゃんに感謝です。


『ありがたい』は『有り難い』。

『有り難い』の反対は『当たり前』



『有り難い』が消えて『当たり前』になって

感謝がなくなっていたことに気付かせてくれたのは、

おばあちゃんの病気でした。



生きていてくれるだけで有り難いことです。


今は、骨もくっついたようで、

痛みも以前ほどではないようです。

近頃は、体温も36度4~8分くらい上がってきて、

調子もいいようです。

ときどき杖を忘れて歩いて笑っています。


今後どうなるかはわかりませんが、

楽しく暮らしていくことを選択したので、

楽しく暮らしていけると思っています。



またいずれ、おばあちゃんのその後の様子を書きたいと思います。