生まれた時

父と母はバーを経営していたそうで

私たち家族は

そのバーの二階に住んでいた

 

小さい頃の記憶で

一番印象に残っているのは

古いテレビと

小さな冷蔵庫

 

ブラウン管の奥で

沢田研二さんが歌を歌っている

その前でままごとをしながら

階下で聞こえる

酔っぱらいの声が怖かったのを

覚えている

 

お酒の匂いは嫌いで

酔っている人は怖かった

 

電車に乗って家族でおでかけをしても

同じ車両にお酒臭い酔っている人が乗ってくるだけで

怖かった

怖がりなところがある神経質なサーシャだったの

 

その数年後は

父もバーを廃業

母と幼い私を育てるために

サラリーマンとなってね

 

幼稚園に行く頃だったような気がする

遠い昔の記憶だから

そのあたり曖昧になってるけど

 

そのあとのことで

記憶に残っているのは

引っ越しをして

父がサラリーマンをやめて

自営の道を進んだこと

 

サーシャは

一度目の結婚をするまで

父が深夜まで

デスクに向かって

仕事をしている姿を見て育った

 

父がいて母がいて弟がいた

 

裕福ではないけど

笑いはある

家族だった

 

だけど今は

父も母も弟もきっと健在だけど

全く連絡もないし、とらないし

弟に至っては

連絡先さえも知らないの

 

過去の電話番号に

連絡をしてみたら

知らないおばさんが出たの

「あ、間違えました・・・」と切った

 

もうひとつの電話番号は

「現在使われておりません」だった

 

そのとき

結構切羽詰まったときだったから

相談したくて電話したんだけどね

すごく悲しかった

 

そんな疎遠な家族の原因は

父と母と弟の喧嘩

 

そのころサーシャは

嫁に行ったあとで

家庭をもっていて

幼い娘たちもいた

 

娘たちを連れて

父と母のところに

行っても

毎度のように聞かされるのは

弟の悪口だった

 

ささいな喧嘩から始まった

親子の断絶

 

サーシャは

何もしていない

何もわるくない

 

なのに

なんで

なんで

こんな悲しいんだろうって

 

何度も思った

 

でもそれがサーシャの境遇

 

受け入れるしかない

そんな形もあるんだと

悲しい現実もあるんだと

 

だけど

それを嘆いてばっかりでは

サーシャの人生が

終わっちゃう

 

サーシャは

サーシャでいよう

 

そう思って

境遇を

受け入れている

 

 

ここまで読んでくれたことに感謝します

サーシャ