早期デビューは夢のまた夢?
日本ダービーが感動のナカノコールに包まれ、3歳(当時は4歳)戦のピークを無事終わりを告げた初夏の日。
日本ダービーの終焉は、また新しい次の日本ダービーへの長い戦いの始まりでもあります。
過度な期待はしていませんでしたが、私の愛馬は育成牧場で悠々自適の生活を送っており、
デビューはおろか、入厩の入の字の兆しもありませんでした。
しかし名前は早くに決まっていましたよ。
当時はまだ産地馬体検査を受けないと名前は決まりませんでしたが、
一応3期生の期待馬だったこともあり、4月には早々に名前が決まっていました。
まぁ、この時期は仕方ないよね。
北海道デビューなんて、最後までクラシックに名前が残っている馬なんてほとんどいないしね。
要するに秋。
秋の中央開催でデビューしてくれるのが一番。
私の期待は、まだ揺るぎの無いものとして、完全なる信頼とともにありました。
そんな順調な報告に影が差し始めたのは3歳(今で言う2歳)の8月のレポートから。
最初はトレーニング疲れが出たとか言う感じで、肩の出がスムーズでない、という事での針治療でした。
いいリフレッシュとなり、願ってもない夏休みとなるでしょう、と書かれてもいました。
しかし、針治療の効果もなく、なかなか順調さを取り戻せないまま、
調教もそこそこに、11月21日に栗東・清水出美厩舎に入厩となった。
入厩すれば何とかなるだろう、という感じに思えたが、なんせ馬を持つのは初めてだから、
こんなもんなのかなぁ、と思っていました。
12月のレポートには、雨宮助手が「東京に行ける馬だよ」とコメントされていました。
そして明けて1月には「馬体の良さだけなら、栗東でも3本の指に入る馬だよ」
と、今度は清水調教師自らが絶賛。
ところが、この間ずっと、角馬場調整のみで、コース追いすら出来ていないのです。
結構いい加減なコメントだと思いませんか?
さらに2月には、骨膜・ソエ・骨瘤と三重苦に。
3月になると、「本馬の脚元は一進一退」という表現になり、
「何とかしたいという一心で、脚部を冷やしたり温めたりしている」と、もう支離滅裂。
「冷やしたり温めたり」って、結局どうしていいかわからん状態、になってんじゃないの?
そして、間髪を入れず、4月レポートには「引退という話が進んでいます」
というセリフを最後に、ルートワンの中央登録は抹消されたのでした。
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今でもそうですが、至極順調だと思っていたら、急に雲行きが怪しくなり、
ダメダメになっていく場合の典型的なパターンでした。
新入社員としての1年間の研修期間が終わり、希望通りに関西勤務に配属された私の
春の悔し涙は、一枚の割引証書となって手元に届くことになりました。
ルートワンの同期トウカイテイオーが、無敗の三冠への挑戦を諦めなければならなくなったことは、
馬の強さと弱さについて改めて考えるきっかけでもありました。
ルートワンは悪くない。調教師も助手も、ましてや生産牧場も。
私の欲が少しばかり強すぎただけだ。
さて、仕切り直しと行きますか。