馬を選ぶということ ~その1~ | 一口馬主のひとりごと

馬を選ぶということ ~その1~

年が明け、日本中が震撼する出来事があり、時代は移り変わりを見せました。

競馬は中止となり、金曜日への振り替え開催など、変則開催が懐かしいです。


年度が替わり、平成の盾男がその第一歩を刻んだ春。

私の部屋にはリクルート本が幅を利かせていました。

(今はインターネットで就活が当たり前ですが、当時は資料請求はがきをいっぱい書いたものです)


昨年取り寄せたユニオンのパンフレットは常に机の一番上に来るように片付けられていました。

企業のリーフレットが一冊、また一冊と増えていきましたが、ユニオンのパンフレットが

埋もれて見えなくなることは、一度もありませんでした。


ある日、父親が心配そうな顔をして言いました。

「お前、牧場にでも就職するのか?」

就活の企業リーフレットに混じって置いてあるユニオンのパンフレットを見て勘違いしたのです。

やばいやばい。


日本ダービーの盛り上がりを横目に、早く新しい世代の募集が始まらないかなぁ、

と思っていると、突然、ユニオンから第3期生の募集パンフレットが送られてきました。

資料請求もしていないし、ましてやまだ会員でもないのに。

「サービスがいいんだなぁ」

まあいいや、手間が省けた。


私は厳かに募集馬の選定に取り掛かった。


当時の種牡馬リーディングはノーザンテーストの独壇場でした。

もちろんユニオンには影も形もありません。

ノーザンテーストの名前は、BMSにもほとんど出てきません。

そのため、一目見て“これ”と目立つ血統馬がいない。(ように私には思えた)


その中で、一際光を放つ牡馬がいました。

それが「アロールートの88」です。


ノーザンテーストにただ一頭、立ち向かっていた種牡馬がいました。

そう、トウショウボーイです。

トウショウボーイの種付け権利は、公平に申込者から抽選で決めていて、種付け料も安く、

零細牧場でも十分支払える価格でありました。

生まれた牡馬は必ず市場に出さなければいけない、という制約はありましたが、

トウショウボーイはお相手の血統を選ばず、どんなマイナー血統でもそこそこ走ることを

証明していましたので、市場ではトウショウボーイ産駒は目玉として扱われていました。

結構どの馬もいい値段が付いた事から、零細牧場にとってはすごく有難い存在であり、

またの名を「お助けボーイ」とも呼ばれていました。

もし、トウショウボーイの種付け権利が自由取引であったなら、

ノーザンテーストなんて足元にも及ばなかったかも知れませんね。


その同じ父を持つサクラユタカオーのファーストクロップがアロールートの88です。

86年天皇賞(秋)のレコード決着も記憶に新しいところでしたが、

トウショウボーイの成功を思えば、同じような結果を期待するのも当然でしょ?

そして、母の父リィフォー。

言わずと知れたニッポーテイオーの父です。

何てスピードに溢れた血統であることか!


皐月賞はいただき!