初めて共同馬主を知ったのは…
初めて共同馬主の存在を知ったのは、競馬を始めて直ぐでした。
申し添えておくと、「競馬を始めた」というのは
「自分のお金で馬券を購入し始めた」という意味です。
競馬自体はもっと早くから知っていて、
父親や伯父がしているのを横で見ていました。
(伯父は淀競馬場の直ぐ近くに住んでいました。数年前に他界してしまいましたが)
私の初めての馬券は84年の有馬記念です。
シンボリルドルフが無敗の三冠馬となり、
三冠馬のミスターシービーが天皇賞(秋)をすさまじい追い込みで勝利し、
カツラギエースが日本馬としてジャパンカップに初めて勝利した年でした。
その中に、ダイナカールという牝馬が出ていて、
この馬の解説をどこかのスポーツ新聞で読んだときに、
馬主が共同クラブ馬主であることを知りました。
このときはまだ、お金持ちの人が集まっているクラブ、
という読み方(事実そうだったとは思いますが)をしていて、
一競馬ファンが関われるものではないと思っていました。
知り合いの競馬通はこのとき、
このようなクラブ馬主の馬がそんなに勝つ筈がない、と力説していました。
(その後の共同クラブ馬主の発展を考えると、彼の予想は大外れに終わった訳ですが…。)
私は特に感慨もなく、ひたすら予想に熱中しており、
言わば自分に関係のないクラブの事よりも、
この単枠指定馬3頭の中で何が勝つのか?
という事のほうが圧倒的に重要な関心事でした。
ちなみに先ほど登場した競馬通の彼は、
ジャパンカップをフロックで勝ったカツラギエースを単枠指定にした日本中央競馬会を嘲笑し、
ルドルフ⇔シービーの1点買いでボーナスの相当額を突っ込んでいました。
(結果はご存知のとおりです)
まあ、私の予想は置いておくとして(汗)、
とにかく、この時が共同クラブ馬主との初めての出会いだという事です。
大学入試を年明けに控えた高校3年生の事でした。