鈴木おやじの自己紹介です。 | すずきファクトリー(旧すずき施術院)サーガ鈴木の頑張ろうニッポン!

すずきファクトリー(旧すずき施術院)サーガ鈴木の頑張ろうニッポン!

すずきファクトリー院長のブログです。
カイロプラクティック等の施術分野と、
女房担当の学研教室に、女性向けのヘルシースリムではゲルマニウム温浴
ヨガストレッチや各種ダイエットもやっています。
予約優先制ですのでなるべくお電話でご予約ください!

この度、市内在住で7年振りの日本人F1ドライバー角田裕毅選手のオフィシャル的な応援団を設立!

ご縁あって団長に就任するに至りました。
今後角田裕毅選手の応援は勿論、日本のモータースポーツ振興を主眼にイベント等、多方面に向けた活動を行いたいと思います。
そこで応援団サイトの公開に先立って、この鈴木団長って何処のどいつ?という疑念にお答えすべく、レース関係者、ファンの方々向けにまとめたものです。
過去の栄光と言う程でもなく、オヤジの与太話程度なのでお手すきな折に御覧ください。
院の患者さんや学研の親御さんはよくやるよ!と笑って見ていただければ幸いです(^0^)

 

鈴木博之 プロフィール
1963年(昭和38年)1月5日生まれ 東京都練馬区早宮出身 相模原市下九沢在住

現すずきファクトリー院長、学研すずきSF下九沢教室代表 二男一女の父、孫娘2人!
学生時代にはJAZZトランペットで芸能界に片足を突っ込んで、松田聖子ちゃんらのバックで(某NHK番組のリハですが!笑)吹いたりした経験からか、相模原の鼓笛バンド連盟副会長(最近は名ばかりですが!苦笑)もやってます。
末娘が湘南台高校吹奏楽部でマーチングやってた頃は部員達のトレーナーとしても関わってました。

 

1985年

2輪ロードレース界の雄、ミラージュ関東の長田孝氏に乞われて相模原市下九沢に転居

1986年 

ミラージュ関東在籍時には鈴鹿4時間耐久2連勝の参謀を努めながら、自身のレース活動は、元世界GP350cc世界チャンピオンの片山敬済氏率いるRACING TEAM KATAYAMA契約ライダーとして活動 J250クラスランク7位を獲得

「レイモンドロッシュの隣でサングラス掛けた生意気な小僧が私(笑)」
 

1987年~

その後、ミラージュ関東に在籍しながらSUZUKIのRGVガンマのF3マシンや後の全日本チャンピオン沼田憲保を擁してのワークスレーサーの開発に従事、1991年にはワークスマシン貸与のサテライトチームで沼田憲保選手の専属チーフメカニックを努め、全日本の合間には後の世界チャンピオン坂田和人選手が世界GP参戦を開始した初年度のアッセン、ポールリカールにも帯同した。


1992年からは片山敬済氏の影響で、現役時から学んでいたカイロプラクティック系の特にライダー向けにムチ打ち等の上部頸椎、肩甲骨周りに主眼を置いた施術院を開院。
レース関連では市内在住の稲毛田潤(97全日本ランク2位)擁する全日本GP125チームのS-way Racing(現7C)のサポートに関り、1997年には人気バンド「TUBE」のドラマー松本玲二とのタイアップでRACING TEAM TUBE RIDERSをプロデュース。マネージャーとして、開幕前にはHONDAウエルカムプラザでのチーム体制発表会に尽力し、ファンクラブの事務局としても運営を行った。

「左側後列に少し写ってます。当時口ひげはやしてました!笑」

 

同時期に長男彰悟(当時7歳、現リクルート勤務)次男陵司(当時5歳、東京理科大後、現在は本田技研浜松製作所勤務)と共に中井インターサーキットでキッズカートを始める。
彰悟の小6時からは当時では異例だったが、オートバイ用の6速ミッションエンジンを積んだスーパーカートがS-wayにあった事から、活動の場をロードコースに移し、年齢制限の緩いもてぎK耐等のイベント耐久に中山雄一(現スーパーフォミュラーGT500ドライバー)らを擁して2005年まで参戦を続けた。

「横断幕右から大谷飛雄(現S耐ドライバー)中山雄一、彰悟、陵司」


2006年には長男彰悟がJAFライセンス取得可能な15歳となり、スーパーカート協会が主催する東日本シリーズを主戦場に、ロードレース用エンジンのホンダRS125エンジンを積んでTOPカテゴリーであるFC-1クラスに参戦を開始。2006年にはランク2位、2007年には史上最年少記録でのスーパーカートチャンピオンを獲得した。
その後は兄弟それぞれがホンダSRSトヨタFTRSの経験を経て、長男彰悟は2009年に日産NDDPの契約ドライバーとしてFCJクラスにも参戦。

「うちの愚息は角田裕毅選手の様に初年度から成績を収める程の才能はなく、1年で一線を引きました。同期には中山雄一、野尻智紀、佐々木大樹選手ら説明の必要がない現TOPドライバーも居ましたが、彼らと比べても異次元の成長度を見せて初年度からインパクトを残した角田裕毅選手程は別格ですね。」


2010年~2015年まではドリフト競技で活動し、ストリートリーガルに参戦した。
また中井卒業後も角田裕毅選手が中井チャンピオンを獲得した2006年に前後して、後進の育成、業界活性化を願って中井インターサーキットでのオフィシャル活動と共に、当時業界内でも先進的であったキッズ向けスクールとして、文武両道を旗印に校長としてNAKAI KIDS RACING SCHOOL(通称NKRS)活動を行った。
角田裕毅選手が中井参戦時(未就学期)には当家愚息達が、スーパーカートを持ち込んで
、迫力の大音量を披露し、子ども達のモチベーションアップにも貢献したはず?(笑)


「最前列中央の青スーツ赤Tシャツが角田裕毅選手(5歳)」

 

平行して2009年から2015年まで「サーガ鈴木の頑張れ、日本のモータースポーツ!」と題してジャパンカート誌に教育、育成論、健康コラムを執筆。
で、この度角田家の実家が当家から数キロの近隣でも有り、多方面から要望を頂いた事で、6年振りに「F1ドライバー教育論」(7
/1発売の8月号掲載予定)として復活!
お陰様で角田裕毅選手の親御さんと久しぶりにご縁が復活して、現在に至っております。