寂しさをこらえて

無事に葬儀を終えれば

あっという間でした。

家族葬で見送った・・・

人付き合いも結構あった人だが

年を重ねていくたびに

それも少なくなっていた母。


私たちをはじめ、孫やひ孫に囲まれて

旅だった母。

”また、会えるよ、待っててね”

の言葉を添えて合掌したんです。


人生はあっという間という・・・

向こうで待っている人に会えるかどうかは

わからないが

 

会えればいいなと想いを馳せる。


葬儀の時、娘は会いたかったと呟き、

私にごめんねというんです。

自分が病気だったから

会いに行けなかったんじゃないかと

変な所で気にするから

まったく・・・と息をついた。


これも運命だったんだから

誰のせいでもないということを

伝えたんです。


ほんと、そんな所を気にすること自体が

ストレスになることをわかってほしいんですけど、

性格なのかな・・・。

気にしいは・・・。




49日までの月日は

娘の検診も2度あり

その度に一緒に行った私。


相変わらずに白血球の数値は

チビチビしか上がってないが

無理しない程度に

身体を動かしてもいいよとの言葉を貰ったんです。


まあ、バイト程度なら許可ということでしたがね。


しかし、バイトと言っても

中々、雇うほうも勇気がいることだしなっと思って

気長に見守っていました。


すぐにやってきたお正月。


お正月は仕事をしました。

みんな帰ってきたけど、夜だけでも十分。

なんだか身体を動かしていたくて・・・

動かないと余計なことを思い出してしまって

辛かったんです。


そんな日が続いた時、

4回目の検診が終わり、白血球の

数値が上がって来ていたんです。


「おお、よかったね。」

「うん・・まあ、少しづつだけど。」

「それでも、いい結果に

なって来てるんだから喜べ!!」

「うふふ・・・」


その日は買い物も兼ねて

途中にある大きなモールへと出かけ、

自分の気に入ったものを買ったりした娘。

あまり贅沢はしないんですが

生まれ変わった細胞のおかげなのか、

皮膚の乾燥がやばいほどだったんです。

おまけに、少し伸びてきた髪が

質が変わった様でくるくる状態・・・

天パーと呼ぶべきか・・・

はたまた

もんちっち?

知ってる人は知ってるかな・・・////


スキンケアを変えてみたり、

皮膚科に通ったりしたんですが

部屋にある品は2・3度使っただけで

お蔵入り状態。

最後は姪っ子へと大移動でした。

いい迷惑だったかも////



月一の検診も滞りなく行ってたのに

それでもその間に帯状疱疹になったりで

まだやるのかって感じでした。

まあ、先生がなりやすいって言ってたしね・・・。





そんな、もうすぐ、春の足音?

聞こえないけど、

ポカポカが増えた日々の頃でした。


「お母さん、ちょっと話があるんだけど・・。」

「ん?」


おお?

今度は何があるんだ?

病院に行ったときは

何も異常はなかったよね。


もしかしてバイト先を決めた?

働きたいと願っていはいたけど

中々、見つからない・・・

というか、見つけるのが

めんどくさそうだった様な気もしてたが・・・。


「なに?」

「実はね・・・。」


神妙な顔つきで私に向かい合って

ゆっくりと話を始めた娘だったんです。