家でくつろいながら、

カレンダーに次の月の予定を書いておく。

ひと月単位くらいの検査と診察。

初めての検査はまだまだでしたが

日に日によくなっていることを信じて

良し!!と気合を入れる。


まあ、何が良しなのかは気にしないで////


私の仕事の方も社員にならないかと打診され、

娘の退院も一つのきっかけとなり、

よく月から朝から、夕方までの出勤となったのです。


忙しいと時間はすぐに立つものですよね・・・

次の月があっという間に来てしまって、

20日過ぎが次の診察日。

人との接触も少しは緩んで来ても

いいかなって時でした。



”ばあちゃんが亡くなった”


夕方の休憩中に見た携帯のライン。

姪っ子からだった。

娘の注射をしてくれていた姪っ子です。

妹の子供で赤ちゃんの頃から

おばあちゃんと暮らしていた子です。


すぐに電話をしたんですが

向こうも忙しかったのでしょう、

ガイダンスが流れるだけで連絡が取れなかったんです。


私の仕事は介護施設で料理を作っている

 

仕事をしているため、

急に帰ると言っても帰れない状況。

代わりの人がいなかったんです。

昼からは3・4人でするんですが

2人は洗い場しか出来なくて1人はまだ見習い中。

100人の料理を作らなくてはならなくて

それを放り出すことは出来ませんでした。


まだ、どういう状態で

どう亡くなったのかわからない・・。

でも、姪っ子が嘘をつくはずもなく

多分そうなんだろうと思い、

仕事場に戻ったんです。


とにかくここの仕事を終わらせる事。

急いでいかなくてはと焦る気持ちを押さえつつ

失敗をしては元も子もなくなるので

いつもよりも集中したのを覚えています。

最後の洗い場を終わらせ、

やはり定時になってようやく終了。

お疲れ様の声を掛け合って

車に乗り込めばすぐに電話が来た。

どうやら、妹は姪っ子の家の方に

 

来ているようだ。

 

姪っ子は二十歳で結婚し、子供を2人産み、

 

准看護師じゃ納得がいかないようで、

 

通信で看護学校へと6年通い、

 

正看の免許を取った子だ。

 

大きな買い物をしたのは家を建てたこと。

 

ご主人とせっせと貯めて自分たちのお城を立てた、

 

そこにいるという妹。


じゃ、お母さんは?どこ?


不思議な気持ちで近くの姪っ子の家へと

到着したんです。

 

時間で言えば5分くらいの所。


「おかえり・・」

「うん・・ただいま。」


出迎えてくれた姪っ子。

妹はソファに座り、

いろんなところへと連絡をしていました。

電話が終わるのを待って私がきたことに気付き

一緒のソファに座ればポツポツと話し始めたんです。


いつも朝風呂に温泉へと出かける妹。

その日は自分の診察日という事で

病院へ行っていたとのこと。

その後は母と朝、喧嘩したようで、

 

家の方に帰りたくなくて

友達とランチしていたみたいでした。

帰ったらトイレに倒れていたという。

硬直が始まっていたため結構な時間が

立っていると判断され、

警察の方から病院で司法解剖を

しなくてはならないと言われ

警察署の方の霊安室へと運ばれていたようです。



「あした、警察から連絡があるんだけど

一緒に行ってほしんだ・・・。」

 

俯き加減にそう言う妹に、

「当たり前じゃん。一緒に迎えに行こう。」

「うん・・。」


そこから泣き出した妹・・。

我慢してたんだろうな・・

自分のせいじゃないかと思ったんだろうな・・・

もう少し早く帰えっていれば・・・って・・。



そんな妹の負担は大変なものだったろうなと

改めて思ったし、

感謝すれども恨むことは絶対ないです。


ただ・・・

ただ、

母が最後に私に言った言葉が

頭から離れなくて・・・

悲しくて・・

申し訳なくてしょうがなかったです・・・。


少しの間一緒にいたあの時・・・


”もう少しここにたらダメか?”


って・・。


ごめんなさい・・としか言えなかった・・・

 

きっと、いつまでも覚えていると思う・・。



翌日、警察から電話があり

説明があった時は零れる涙を黙って拭いた。

霊安室へ案内され辛かった・・・。

建物はコンクリートで質素なもの・・。

中へと案内されれば

そこに寝かされている姿が目に入った。


「どうぞ・・。」

「ありがとうございます。」


母の顔元へと手をやれば

寝ているような姿に涙が零れて仕方がない・・。


「ごめんね・・・。」


そっと手を顔に当てれば

冷たい・・・

その冷たさが余計に亡くなってしまったんだと

実感した私でした・・・・・・