退院してきてくれてありがとう・・・

頑張って治療して、

泣きながら苦しんだ日々だったけど、

それでも生きてりゃいい!!




実の所、娘の病気がわかり、

治療が始まってから

抗がん剤が合わなかった初めの頃、

私の実の兄が亡くなったんです。

4人兄妹で唯一の男。

いつも私たちを守ってくれていた兄。

住んでいたところは離れていたけど、

数年に一度帰ってくる忙しい人でした。


兄も癌で抗がん剤治療中だったのですが、

亡くなる数か月前に母に会うために

故郷へと母を訪ねてきたんです。

それが最後に見た兄でした。


葬儀も自宅がある関東の方でという事で

妹夫婦と一緒に行くはずでした。

が、

娘の病院からの連絡があって

結局はいくことが叶わずに

妹夫婦に託したんです。


最後に”また逢おうね”と言ったあの笑顔が

忘れられません。

でも、その笑顔を忘れることなく

兄を思い出すこともできるので

いまいち、私の中で亡くなったと

実感が出来てないんです。




娘が帰って来てから、数日は身体ならしで

家でゆっくりしてましたが、

コスモスが咲いているとニュースで見て

娘と散歩と称して数時間だけ外に出たんです。


感染症がまだ怖かったので

人との接触は控えてました。

息子のお嫁さんも子供たちと

隣の空き家になっていた

おばあちゃんの家に引っ越し。


まあ、これも色々と事情があって・・・。

決して追い出したんじゃなくて、

単身で行っていた息子の所に行くはずだったんですが

仕事現場が移動になるとかならないとか・・・。

そんな諸々の諸事情が重なり未だ移動できてないんです。


でも、リフォームしてあったんで

外と中ではギャップがあるくらい綺麗ですよ。

バリアフリーだしトイレやお風呂もユニットだし・・。


一番はこちらに住みたいと言ってくれて・・・

ありがたいお嫁ちゃんです。

ちなみにご実家は関西なんですがね。



娘の通院は4週間に一度。

1回目をクリアするまでは

人との接触を絶っていたため、

本人は買い物すら出来なかった状態。

病院の血液検査で

白血球はそれほど上がってなくて、

それでも、薬は処方されず、

自力?で白血球を上げねばならぬのかって感じでした。

でも、抗がん剤を使っていたので

帯状疱疹の薬だけは貰ってました。

なってしまうリスクがあるからだそうです。


そうなんだ・・・と思った私。


診察も終わり、会計を待ている間に

周りを見ればやはり多い患者さん。


そういえば入院していた階は血液内科の病棟。

だけど、他の部分にできた人たちは?

勿論、あの病棟にいるんだろうと

娘に聞いてみれば


「なにいってるんでしょか。

外科に決まってるでしょ、多分。」

「えっ?じゃ、あの階は血液だけ?」

「そうだと思うよ。血液内科の病棟だから。」

「そりゃ、子宮とかは婦人科だしね、

胃だって手術とかだったら外科だろうしね。」

「・・・・・・・」

「ん?どうした?」

「ということは、あそこはその病気に関わる

人たちだけってことなんだ・・。」

「今更?」

「うん・・。」


本当に今更ってことであきられている私。

帰ってからネットで調べれば

その病院の骨髄移植の歴史が書かれていた。


*だって・・・ネットで調べたのは病気の事で

入院した病院の事は少しだけ見た記憶はあるけど

本当に素通りするくらいでした、すみませんでした。


総合病院でましてやここまで先生方が充実している

充実って言い方は失礼ですが

本当に担当科の先生が多いんです。

補助に回っている人たちの

数も多いと聞きました。


「すごい所に入院してたんだね・・。

本当にたくさんの方々に支えられてたんだね。」

「うん。」


躊躇せずにそういう娘は

正直すぎてバカが付くくらいのこだから

余計にいい先生方や看護師さん達、

そして、補助をしてくれた方、リハビリ・・・

色んな方々に出逢えたんだと思いました。


一期一会・・・


これは合ってない言葉かもしれないが・・・。


この病気にたまたま、なってしまったけど

それでも生きられることも学んだし、

辛く苦しい精神状態も体験した。


娘に少しの変化が訪れた機会になったのも

否めなかった事実だったんです。

 

 

 

地元にあるコスモス畑です。

一緒に行って娘が撮った写真です。

 

月が微かに写っていたので////添えました。