ここで、少し私の話です。

くそ親父~~と思った理由


小さいころから、突然ふらりと出て行ったきり

帰ってこないといった荒業を繰り返し、

母から三下り半を押された父。

苦労して4人の子供を育て上げた母に

 

感謝です。

 

本当なら、きっとどこかに預けてしまいたいときも

 

あったはずです。

 

でも、生活が苦しくても精神的にきつくても

 

見捨てることなく育ててくれました。

上の二人と私達は少々年齢が離れていて、

その上の二人には苦労をさせたとよく聞いていました。


何の音さたもない時、


突然、その父が悪性リンパ腫だと、

父の弟(叔父)から連絡があり

話をして会うことになりました。


よく、私たちの事がわかったもんだ・・

狭い小さな町だからどこで何をしてるかなんて

知ってる人に会えば

自ずと知りえる情報かなとも思いました。


主人曰く、


ふうてんの寅さんみたいだ(笑)


笑い事じゃないっつ~~の!!(# ゚Д゚)

ふうてんの寅さんもどきは迷惑だったんだよ、

特に家族には!!




あれはもう、20年前の話です。


小さい頃のイメージと少しも変わらず、

ひょうひょうとしてベッドに寝転がってる人。

どこが悪いんだろうってくらい元気な様子に

来なくてもよかったんじゃない?って思うくらいでした。

久しぶりにあったから何を話せばいいのかわからず、

当たり障りのない話をしていれば

主治医の先生が話があると言われ面談しました。


「余命、6か月です。」

「??余命って・・。」

「手の施しようがありません。」

「・・・そうですか」

 

 

急にそんなことを主治医の先生に言われて

 

無になったんです・・。



「あの・・連絡先を教えてもらえませんか?」

「えっ?・・・はあ・・・考えておきます。」

「・・・・わかりました。

叔父様にあらかたの事情は聞いていますが

 

それでもお願いします。」

「少し考えます。」


今更、私たちに看取れというのか?

虫のいい話を言うなという気持ちでした。


それでも洗濯物があるので1週間に一度は

その病院に行きました。


奇しくも、その20年後、

娘が異常なしと言われた国立医療センター。

今は綺麗に建て替えられていますが

昔は古くて暗いというイメージしかなかった。


初夏の頃、入院した父。

入院する前に血が止まらず、

輸血も結構な量をしたと

看護師さんに聞きました。


夏になっても元気な様子に

先生の見立ては間違ってるんじゃないの?

なんて思いつつも夏用の着替えに衣替え。

ここでは暑さ寒さは関係ないから

よかったのかもしれない。


秋口に入るころ、少しずつ

首のあたりのリンパが膨れているのが見えた。


「あの・・」

「はい・・。何ですか?」


看護師さんから声を掛けられた。

なんでも、股関節の所のリンパが腫れて

パジャマじゃ擦れてしまうらしく、

緩めのズボンがあればということを言われた。

もしくは、浴衣のようなものでもいいと・・。


見えないところが腫れているんだな・・・

首というか耳の下あたりが

コブのように膨れてたしな・・・


秋が過ぎ、寒い冬がやってきた頃。

先生から毎回の催促。

連絡先を教えてもらえませんかという事。


たぶん先生が言った6か月の頃。

確かに起き上がるのもきつそうな様子がわかる。



今まで、孫を見せたことがなかった私。

(見せてやるもんかというほうが強かったかも)

主人と話し合って子供たちに話をしました。

実は・・・という話で。


3人の子供は会いたいと即答でした。

次の面会日に合わせて

家族5人で訪れれば嬉しそうに

ぎこちなかったけど話しをしていました。


よかったのかも・・これで・・。

冬もいよいよと言わんばかりに

寒くなる一方だったので、

寝るときに寒くないようにと

羽毛の肩掛けを持って行きました。


その日は元気でいたんです。

これなら、年を越せるなとも・・・。


「明日から、2日間来れないけど

その次の日は来るからね。」

「おお、大丈夫だ。」

「うん、じゃ、またね。」


その時、娘の誕生日の日、

1泊旅行を計画していたんです。

隣の県でやたら遠い所なんですが

温泉がいいというのでそこに行ったんです。


1日空き、着替えをもって病室へと向かえば

急に弱々しくなった父を見てびっくりでした。

 

一昨日来た時には元気だったきがしたんだけど・・。



丁度、トイレをしたいらしく

看護師さん2人に支えられて用を足してました。

寝たきりでお願いすればいいのに、

そんな所だけプライドが高い。

弱みは見せないとは・・・。


「大丈夫?」

「・・・ああ・・・」


弱々しい声で答えてくれました。

しばし父の顔を見て、

明日も来ることを耳元で伝えれば

頷いてくれたんです。

そして、そのまま、主治医の元へと向かった私。


「連絡先を書きます。」


ペンと紙を貰って、携帯番号を書き

その下に自分の名前を書きました。


帰る車の中で、泣きながらこれでよかったんだと・・・。

小さい頃に抱っこされ、

山を見渡したことが思い出されて

泣けてしょうがなかった私でした。


その夜でした。

看護師さんから危篤の連絡があり、

急いでいくことになったのですが

車のガソリンが少ないから入れてから行こうと

主人がスタンドに行っている間の時間が長く感じました。


自宅の庭でまだかまだかと待っている時間。

冬の夜空は真っ黒で澄み渡っていて

星がキラキラとしていたんです。

願わくば、息をしているときに会いたいと・・。

 

あんなに拒否ってたのに・・・


その時でした・・・

ほうき星が流れたんです。

まさか・・・と・・・



やっと来た車に乗り込んで

高速に乗ってその場所へと向かう途中、

また看護師さんから連絡がありました。


「今、息を引き取りました。

急ぎたい気持ちもわかりますが

事故を起こさずにお越しくださいね。」

「・・・・はい・・。」


電話を切って、泣けてきました。

なぜか涙が溢れてきてしまって・・・。


病院に着けば、叔父が先についていて

父のそばにいてくれたようです。


私たちは何も知らない状態なので

叔父が霊柩車の手配などしてくれて、

とても助かりました。


綺麗にして頂いた父はストレッチャーに乗せられ、

霊柩車へと運ばれたんです。

私たちもすぐに追いかけるからねと

乗せられる前に父の耳元で小さく呟きました。


その車を見送るときにふと後ろを振り向けば

深くお辞儀をしてくださる先生や看護師さん達。


人の死を厳かに見送ってくださってることが

とてもありがたかったことを覚えています。


父はいい先生に巡り合えてよかったんだと

今もあの先生に感謝しかないです。

連絡先の攻撃はしつこかったですけどネ(笑)










「あの・・・どう思われたでしょうか・・。」

「・・・・・・どうというと?」


娘の担当医師、イケメン先生が

少し困り顔で聞いてきたんです。