以前夫から言われた「いつになったら働けるの?」の答えのために、「何をして働こうか」を考えてみた。
病気になってからも続けていた履歴書に唯一書ける職歴「SE」、これはもう無理だろうと思っている。
もしかしたら、思い出してまたバリバリと出来るかもしれないけど、離職期間が長すぎる。忘れていることが多すぎる。
自宅でリハビリできる範囲も限られている。
なぜなら企業では数十万するソフトを導入してそれを使って仕事をするからだ。
そんなお金ないし、ましてやどのソフトを使っているかは企業次第。
私がただの転職目的で探しているのであれば、いくらでも柔軟に対応できるだろうけど、
離職して、記憶をなくして、それでも年相応のSEになれるかと自問自答した結果、無理だろうと。

じゃあ私には何ができるんだ?と考えてみた。
数学を教えること。数学は好きだし、忘れているところがたくさんあるけど、でも好きだった気持ちだけは忘れていない。

プラスに働くかどうかは不明だけど、数年前に失効してしまった教員免許がある。
それになんといっても出身が理学部数学科だ。数学のプロとしてみてくれるんじゃないか。
塾とか、家庭教師として働いてみたい、そう思った。
大学時代に家庭教師に行っていた経験もある。

大学時代と違うのは、ここはお受験がある地域だということ。
だから、大学入試で数学科に合格したときくらいの知識を思い出さないといけない。
小学生から大学受験生までなんでもござれ。というのをウリにして。

今中学生の問題集を解いている。
単純なミスがあったり、時間切れのテストに悔しい思いをしつつも、どこかで楽しんでいる私がいる。
今の子たちにこんなおもしろいものを、嫌いになってほしくない、ちゃんとした答えがある科目なんてそうはないんだ、実は。

英語の作文にせよ、現代文の要約にせよ、答えはあってないようなもの。
それに比べて、ビシッと答えが出てくる数学は楽しい科目なんだってことを教えてあげたい。

私が尊敬する、代ゼミで出会った「木須一郎先生」は自分自身も、常にものすごい勉強をされてた。今は自分で塾を開いているけれど、私が予備校へ通っていた当時は全国の校舎に出張講義をされていた。
私は札幌だったけど、札幌の翌日は福岡だった。授業の終了の鐘が鳴っても中途半端に辞めずトコトン解説してくれた。そして、空港行きのJRに毎回のように飛び乗っていた。
僕の自給は10円くらいなんだよ・・・と言っていたっけ。
なんだか今勉強を始めて、その意味がちょっとだけ分かりつつある。
私もできるなら木須先生のようになりたい。夢はでっかくね。

まだ教える仕事に就けるほど記憶は戻っていない。
ひたすら勉強している段階だ。
でも、今中学生から始めて、いつか大学受験を制覇した暁には、胸を張って塾なり家庭教師事務所へ応募してみようと思う。

その日は近いのか、遠いのか、空振りに終わるのかは、神のみぞ知るである。
私にウツというド派手な試練を与えた神は、次にどんな試練を与えてくるだろう。
もう神様が与えてくる試練に負けない。負けるもんか!
そう思える自分が、やっと訪れた。

私の座右の銘
「仏様はその人が乗り越えられるぎりぎりの試練をお与えになる」