王様の食パンの日 | ペコちゃん

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1月13日の記念日は「王様の食パンの日」です。福岡県糟屋郡新宮町に本社を置き、パンや和洋菓子などの製造・販売を手がける株式会社フランソアが制定しました。

日付はトランプの「王様」のカードである「キング(K)」の数字が「13」であることから毎月13日としたものです。

自家製の天然酵母・ライ麦ルヴァン種(フランスでは自然界に存在する酵母)を使用し、耳までとろける口どけのよいプレミアム食パン「王様の食パン」を販売する同社の、朝食の食卓を家族でゆっくりと過ごして欲しいとの願いが込められています。

 

王様の食パンは、上品な口どけとコクを追求した渾身の自信作。パン酵母の起源「ルヴァン種」をしっかり寝かせて発酵させています。また、生クリームなど厳選した素材を贅沢に使用したこだわりが詰まった食パンで、濃厚な味わいと耳までとろける口どけを楽しむことができます。
 

焼き立てパンのお店は良い香りがして、いつ見ても長い行列ができています。やはりアツアツの焼き立てパンは美味しいので並んでも買いたいのでしょう(笑)
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【パンが日本に伝わったのはいつ?】
1543年に種子島に漂着した中国船に2名のポルトガル人が
乗船しており、所有していた鉄砲(火縄銃)が日本に伝えられました。これが南蛮貿易のきっかけとなり、ポルトガル人を中心とする南蛮人が渡来するようになりました。

1549年にはフランシスコ・ザビエルが日本にやって来て、
キリスト教を広めました。その後九州の諸大名や織田信長らの庇護も受け、キリスト教は順調に信徒を増やしていきました。

 

キリスト教の儀式ではパンと葡萄酒はなくてはならないものでしたが、パンは日本でも生産できたため、キリスト教の普及とともにパンも大衆の中に浸透していったといいます。


【パンを最初に売り出したのは?】
明治38年刊の長崎市役所編「幕府時代の長崎」によると、パンを含む長崎名産の南蛮菓子の元祖は元和時代(1615~1624年)に南蛮人から製法の伝授を受けて商売をはじめた伊藤小七郎なる人物でした。

この時代、長崎ではパンはすでに決して珍しいものではなかったようです。

【パンが姿を消した鎖国時代】
島原の乱(1637~38年)以降、鎖国が始まり、
キリスト教が禁止されると、日本全国に普及していたパンもほとんどその姿を消し去ったといいます。パンはキリスト教の儀式と不可分だったため、パンを食べることは隠れキリシタンと疑われても仕方のないことだったためです。


【幕末に再びパンを全国に広めた江川太郎左衛門】
こうした中、再びパンが全国に普及するきっかけを
作ったのが、江川太郎左衛門でした。太郎左衛門は日本で初めてパンを作ったわけではありませんが、パン食が廃れた幕末期に、パンの効用に目を付け、日本中にパンが普及するきっかけを作った最初の人物だったことから、「パン祖」と呼ばれています。


【日本独自のパンが登場】
幕末から明治初頭の日本で、パン食は少しずつ
普及していきました。しかし、イーストがなくホップで作られていた当時のパンは、食感が固く日本人の口には合いませんでした。

 

そこで木村英三郎は日本人に合うパンの研究をした結果、酒種酵母を作り出すことに成功し【酒種あんぱん】を発明しました。これが瞬く間に有名になり、大好評を得たといいます。それこそが「キムラヤのあんぱん」です(笑)

 

いつも何気なく食しているパンにも、人々の苦労と歴史があることを知り、感謝をして頂きたいと思いました。

 

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今ではパンにも沢山の種類があって、食パン、あんぱん、ジャムパン、クリームパン、メロンパン、チョコパンなどの菓子パン、クロワッサン、ピロシキ、フランスパン、ブリオッシュ、トルティーヤ、ナン、テーブルロールなど、キリがありません(笑)

また毎月12日は「パンの日」と定め、全国のパン屋さんがより一層のサービスに努める日となっています。パンの日には、割引クーポンをプレとゼントしているお店もあります。お目当てのパン屋さんがあれば、パンの日にのぞいてみるのも良いかもしれませんね(笑)

魅力溢れるパンの世界をこれからも色々味わってみたいですね~

本日も来て下さって読んで頂きありがとうございました、心より感謝しています。