ラグビー国際試合記念日 | ペコちゃん

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12月7日は『ラグビー国際試合記念日』です。1901年12月7日、横浜で慶応義塾大学のラグビーチームと、横浜在住の外国人ラグビーチームが横浜で試合を行いました。 横浜は初の国内試合も行われていて「ラグビー発祥の地」とされています。日本ラグビー蹴球発祥記念碑は慶応義塾大学日吉キャンパスの下田グラウンドにあります。

またワールドカップの優勝トロフィー「ウェブ・エリス・カップ」が、日本ラグビー発祥の地である日吉・下田地区のラグビー場で公開され、イングランドの大会組織委員会関係者やウェールズ元代表選手などが訪問されました(2014年5月)

 

事の始まりは1899年の秋。当時、大学部理財科で英語講師を務めていた英国人のE・B・クラークは、気持ちの良い季節にもかかわらず無為に過ごしている学生を見てラグビーを教えようと思いつきました。早速、自分と同じケンブリッジ大学で学んだ田中銀之助に通訳兼コーチとして協力してもらい、学生たちにラグビーを教えました。

初めての試合はその2年後の1901年、横浜の外国人クラブYC&ACと対戦し、35対5のスコアで大敗しました。体格や知識に大きな差があり、ラグビースパイクを着用していたのはクラークと田中の2人だけというハンディがありましたが、クラークは歯がゆさから試合中に「You employ JUDO !(柔道を用いよ)」と叫んだと伝えられています。

 

 

その後、クラークを部長とした蹴球部は体育会に正式加盟。YC&ACに大敗してから7年を経た1908年、フォワードの「セブンシステム」という独自の戦術を考案し、見事に12対0のスコアで雪辱を果たし、歴史的な初勝利を手にすることができました。
 

慶應義塾ラグビーのシンボルといえば、目にも鮮やかな黒黄のジャージです。蹴球部OB会もそのデザインにちなんで「黒黄会(こっこうかい)」と名付けられています。

 

黒黄のジャージデザインは、1907年に卒業した岡本謙三郎(のちに大学部文学科教授)が、米国プリンストン大学のカレッジカラー「タイガー」を模して考案したと伝えられています。なお、黒黄のジャージ以前、蹴球部員のジャージは黒一色のシンプルなデザインだったのですが、黒黄のジャージに変わった途端に入部希望者が倍増しました。ハイカラを好んだ塾生気質にこのデザインが大いにアピールしたようです。

 

 

初めてのラグビー早慶戦は1922年11月23日、慶應義塾・綱町グラウンドで開催され、慶應義塾が14対0で勝利。当時の「時事新報」は早稲田の善戦により「面白い試合」と伝えています。

 

そして今年2023年11月23日、記念すべき第100回となるラグビー早慶戦が新国立競技場で開催されました~


実は1906年から1925年秋までの約19年間は、応援の過熱ぶりから野球の早慶戦が中止されていて両校のスポーツ交流が途絶えている中、初のラグビー早慶戦の実現にあたっては、各校ラグビーOBの親睦組織A. J. R. A. が両チームの懇親会を開催するなど、円満な開催のために尽力しました。こうした学校の枠を超えたラガーマン同士の結束の強さはラグビーというスポーツを象徴する「ノーサイド」の精神に由来しているのかもしれません。
 

蹴球部創立から124年。蹴球部を初勝利に導いた慶應義塾独自のフォワード「セブンシステム」を考案した田辺九万三(くまぞう)は、後年になって日本ラグビーフットボール協会第2代会長の要職を務めました。

 

卒業後に日本代表選手となり、監督として蹴球部を2度の大学日本一に導いた上田昭夫など、慶應義塾蹴球部は日本ラグビーの発展に貢献した数々の人材を輩出。近年では、山田章仁、村田毅(つよし)、栗原大介等の蹴球部出身選手がトップリーグ選手として活躍しています。(↓写真は山田章仁選手がNTTコムに移籍した時のもの)
 

ところで東大阪の花園が「ラグビーの聖地」と言われていますが、それは1929年日本初のラグビー専用スタジアムとして開場された事と、今でも全国高等学校ラグビーフットボール大会が行われている為です。野球で言う甲子園球場と同じですね(笑)

時は流れ、ラグビーの母国・イングランドと日本が初めて顔を合わせたのは1971年9月24日、舞台は大阪・花園ラグビー場でした。1930年に歩みを始めた日本代表が世界トップクラスの代表チームと戦ったのは、この時が初めてでした。

以来、10度※におよんだ対戦は日本の全敗。イングランド側がテストマッチ(代表同士の国際試合)と認めた3試合に限ると、いずれも完敗です。


※イングランドとの対戦成績
1971年9月24日 ●19―27 大阪・花園ラグビー場
     9月28日 ●3―6 東京・秩父宮ラグビー場
1979年5月13日 ●19―21 大阪・花園ラグビー場
     5月20日 ●18―38 東京・国立競技場
1986年10月11日 ●12―39 英ロンドン
※1987年5月30日 ●7―60 豪シドニー(第1回W杯)
2003年7月3日 ●10―37 東京・味の素スタジアム
     7月6日 ●20―55 東京・国立競技場
※2018年11月18日 ●15―35 英ロンドン
※2022年11月12日 ●13―52 英ロンドン
(※はイングランド側がテストマッチと認めた試合)~

 

そして今年2023年W杯、プールDでイングランド代表とぶつかりました。第1回大会以来2度目。花園での初対戦から半世紀の時を経て、ニースで勝利を収めれば、間違いなく日本ラグビーの歴史は塗りかわる所でしたが…

 

皆様ご存じですが、改めて「W杯2023 日本代表」の試合結果です~

 

9月10日(日)20:00 日本42-12チリ 
9月18日(月)04:00 日本12-イングランド34

9月29日(金)04:00 日本28-22サモア
10月8日(日)20:00 日本27-39アルゼンチン

最終的に3位決定戦で戦う事なるイングランドとアルゼンチンは、日本にとって本当に強敵となりました~
 

なおラグビーリーグワンは来年2024年2月に、日本国内で他国リーグとの国際交流試合「ザ・クロスボーダー・ラグビー2024」を開催すると発表しました。リーグワンが主催・主管する国際試合の開催は初めてです。


 国際交流試合はリーグワン創設前から構想されてきたもので、3季目で初めて実現。将来的にはチャンピオンシップを決める公式大会としての開催を目指すとした上で、初回の今回は親善試合扱いで行われます。

 

日本からは東京ベイのほかに、昨季2位の埼玉、3位の横浜、4位の東京SGが参加。一方のチーフスは昨季2位、ブルーズは同4強で、いずれも複数のニュージーランド代表選手を戦力として抱えます。親善試合ながらベストメンバーでの対戦を促す考えを示しました。

 ▽ザ・クロスボーダー・ラグビー2024試合日程
 第1戦 東京SG―ブルーズ(2月3日 東京・秩父宮ラグビー場)
 第2戦 埼玉―チーフス(2月4日 埼玉・熊谷ラグビー場)
 第3戦 東京ベイ―チーフス(2月10日 東京・秩父宮ラグビー場)
 第4戦 横浜―ブルーズ(2月10日 神奈川・ニッパツ三ツ沢球技場)

 

 

こうした国際試合から来年以降も新たなスター選手、そして感動のドラマが生まれ続ける事を祈念しております~

本日も来て下さって読んで頂きありがとうございました、心より感謝しています。

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