プロレス記念日 | ペコちゃん

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7月30日は「プロレス記念日」です。1953年(昭和28年)7月30日、プロレスラー・力道山が中心となり日本プロレス協会が結成されました。


力道山(りきどうざん、1924~1963年)は大相撲の元力士で、その後プロレスに転身。第二次世界大戦終戦後に日本のプロレス界の礎を築いたことから、「日本プロレス界の父」と呼ばれています。当時始まったテレビ放送の力もあり絶大な人気を誇っていました。

 

1954年(昭和29年)2月19日、日本初のプロレスの本格的な国際試合が東京・蔵前国技館で開催されました。力道山が柔道出身の木村政彦(きむら まさひこ、1917~1993年)と組んで、カナダ出身でアメリカから来日したシャープ兄弟とのNWA世界タッグ戦でした。

 

日本テレビとNHKが同時中継して、新橋駅西口広場の街頭テレビには2万人の群集が押し寄せました。シャープ兄弟は、初来日の際に5回対戦して王座を保持したまま帰国しました。力道山は外国人レスラーを空手チョップで次々と倒す姿に人気が集まりました。

 

1957年10月7日、ルー・テーズVS力道山とのNWA世界ヘビー選手権試合を後楽園球場から中継した時、視聴率は87.0%(電通調べ)を記録しました。


1962年4月23日、カラー放送が実施されていた初期の頃、力道山VSフレッド・ブラッシーの試合中に対戦相手が流血する事故があり、それを見ていた老人3名が、ショック死する痛ましい事故もありました。


1963年5月24日に放送された「WWA世界選手権・ザ・デストロイヤー対力道山」は、関東地区で視聴率64.0%もあったそうで、これは現在に至るまで日本テレビの史上最高視聴率となっています。いかに皆が力道山という人のプロレスを楽しんでいて応援されていたかが伝わりますね~

 

1963年12月15日に力道山が急逝されてしまったので、この5月24日の試合を観た方は、今でも心に残っていられる事でしょう~


日本プロレスの祖である力道山の後に登場したのが「アントニオ猪木」と「ジャイアント馬場」です。1972年に全日本プロレスを旗揚げした「ジャイアント馬場」(日本テレビ系列で試合中継)

新日本プロレスを旗揚げした「アントニオ猪木」(テレビ朝日系列で試合中継)の二大スターを中心に動いていきます。


プロレス全盛期には、新日と全日の間で選手が移動したり、引き抜きや裏切りがあったりと話題に事欠きませんでした。トップの経営方針に反対して、選手たちが離脱することは頻繁にあったのです。


そのひとつとして、不満を持った初代タイガーマスクこと三沢光晴が全日本プロレスから独立し「プロレスリング・ノア」を立ち上げたのです。現在まで続く、長い歴史を持つ団体です。
 

「全日本プロレス」はジャイアント馬場、ジャンボ鶴田ら日本人選手と、ブッチャー、タイガー・ジェット・シン、スタン・ハンセンと言った外国人選手とのアメリカンスタイルの抗争が人気でした。

 

馬場さん、鶴田さん亡き後は三沢光晴さん(故人)、武藤敬司さんが

トップ選手兼社長として、「闘魂三銃士」と言われた新日本プロレスの

蝶野正洋さん、プロレスリングZERO-ONEの橋本真也さん(故人)と

共闘したり、高田延彦さん、小川直也さんが作った「ハッスル」に協力したりと、独自の存在感を発揮しました。

 

1993年:みちのくプロレス設立

1995年:大日本プロレス設立
1997年:DDTプロレスリング設立
( 現在はサイバーエージェントの子会社)

1999年:DRAGON GATE設立
2000年:プロレスリング・ノア設立

2002年:「ファンタジーファイトWRESTLE-1」開催

2003年~2009年:「ハッスル」シリーズ開催

 

独特な声でバラエティー番組出演も多い天龍源一郎さん、女子プロレスラー・北斗晶さんと結婚した佐々木健介さん、政治家にもなった大仁田厚さんも全日本プロレス出身です。

 

 「新日本プロレス」は藤浪辰巳さん、長州力さん等のスター選手や「タイガーマスク」「獣神ライガー」等のプロレスアニメとのタイアップで現実化したりで大人気でしたが、猪木さんが総合格闘技路線に移行。(後にIGF(猪木ゲノムフェデレーション)を設立)

2001年K-1との対抗戦で安田忠夫さんの大逆転勝利で紅白歌合戦の裏で視聴率14.9%と健闘した事で、【年末は格闘技】という流れが出来た一方、

 

 

「闘魂三銃士」はじめ主力選手の相次ぐ離脱で経営危機を迎えます。しかし2012年にカードゲーム会社「ブシロード」の傘下に入り、たった2年余りで興行収入を倍増し、業界に一大旋風を巻き起こしました。

 

若いイケメン選手の売り出しも功を奏し、今やファンの3割は女性が占めると言われています。また2014年12月にはテレビ朝日と共同で、動画配信サービス「新日本プロレスワールド」をスタートさせました。

 

現在は、オカダ・カズチカ選手・棚橋弘至選手が看板スターですが、「スイーツ真壁」で人気の真壁刀義選手、「しゃがれ声」の本間朋晃選手のタッグも、本業のプロレスでもバラエティー番組でも人気で、プロレス人気を盛り上げています。

 

日本のプロレス界は今、かつてないほどの盛り上がりを見せています。新日本プロレスは2019年7月期には初の売上高50億円を突破。しかも、2020年、2021年、2022年の1月4日・5日には東京ドームでプロレス史上初の3年連続となる「2日連続興行」も行われました。

 

2023年1月に行われた新日本プロレス主催のプロレス興行【WRESTLE KINGDOM 17】では、

・1月4日の東京ドーム大会はアントニオ猪木追悼大会として

・1月21日の横浜アリーナ大会はプロレスリング・ノアとの対抗戦として

それぞれ行われました。

1月4日の東京ドーム大会としては1992年以来32年連続の開催となり、また前年までの2日間開催は取りやめ、1月5日は大田区総合体育館で「NEW YEAR DASH!!」として行われました。
 

プロレスラーは四方八方からファンに見つめられながら自らの身体や感情をさらけ出して戦い、戦えない私たちは、リングの外から彼らに自分の思いを託します。応援しているレスラーの喜びが自分の喜びであり、彼らが悔しければ私たちも悔しい。良い試合を見たあとは、また明日も頑張ろう、またプロレスを見に行こう、そう思えるのがプロレスの魅力だそうです。

 

私はまだその入口に立っていませんが(笑)観戦の機会があったら是非一度行ってみたいと思います。

本日も来て下さって読んで頂きありがとうございました、心より感謝しています。