2024年はお正月から能登半島地震が起きました。

お見舞い申し上げます。

神戸の地震を体験している私には、テレビを見ていてよくわかりますが、

津波が酷かったので、きっと 私達よりももっと 怖かっただろうな!と思いました。

お正月の団らんから一遍してしまって、ご家族を亡くされた皆様

寒さが厳しくなってきますので、くれぐれもお身体をご自愛ください。

 

私達も神戸で最後まで、お水が出なかった地域に住んでいました。

肋骨も折れている身体で、マンションの高層階まで、エレベーターが使えないので、

両手にペットボトルを1本ずつ抱いて、井戸水をもらって、きました。

妹の会社の人が 毎日マンションのドアの前に2Lのペットボトルを置いてくれていました。

本当に助かりました。

私は5日間だけ避難所にお世話になり、トイレ掃除やお湯を沸かしたり、お茶碗を洗ったり、夜中にお茶を入れたりと

自分にできることはお手伝いしましたが、5日目に雨が降るので、リーダーの方が市役所にお弁当の手配をお願いしてくれました。

5日目で自分たちの炊き出しは終了しました。

近くの市場が全焼してそのお肉屋さんが冷蔵庫から、お肉をくれたり、うどんの玉やお箸を差し入れしてくれたり、周りのお店の方々が差し入れをして下さったので、5日間は自分たちで食事を作って、みんなに配ったりしました。

だけど、明日からお弁当が届くので、避難所のお手伝いをしてもらわないで、実家があるのだったら、帰れるのだったら、帰って欲しいとリーダーに言われました。私は避難所でお手伝いしようと思ったのですが、 

避難所はお家がない方々のためのものなので、お家のある方は、早く避難所を出てくれた方が嬉しいと言われました。

私が頂くお弁当を他の方に回してもらった方が、その方が助かるのだと、言うことを学びました。

避難所にいる方はそれぞれに助け合って、生活できるので、私は、実家に帰り、仕事場にも1月いっぱいは、特休を頂いて、

2月1日に大阪のお店に集合でした。私は、マンションから通えないので、会社の寮に1か月お世話になり、休日は連休にしてもらって、代替バスで、マンションの片づけに帰ってきました。

仕事は大きな会社なので、大阪や京都にお店があったので、いろんなお店にお世話になりました。

3月から神戸のお店が再開するので、帰らせてもらいました。

あの頃は若かったので、頑張れたけれど、あれから29年、体力付けて もうひと踏ん張りしなくてはね。

能登半島地震の皆様もいろいろと大変な思いをされているでしょうが、人に甘えることも大切です。

毎日の生活が苦しいとは思いますが、楽しい出会いも小さな喜びも見つけて、前進できますように・・・お祈り申し上げます。