ここしばらく、何度かこのブログでも書いていたんですけど。


親父が遺した定置網の杭を早く抜かなくてはと、気付けば休日のたびに、いえ、本当は毎日のように、義務感のような、罪悪感のようなモノを抱えていたように思うのです。


歌の文句じゃないけど、それはこころののどこかに、いつも苦い液をにじませているようでした。


2連休の初日の昨日もそうでした。前日の天気予報では雨模様でしたし、風も強めみたいだからと思って作業に行かないつもりでいたのですが、朝起きてみると雨も降ってないし風も吹いてない。


はぁ。なんかヤな感じ。寝る前に気合いを入れなかったから早起きしなかったし、今更行く気にもなれない。でも、行けない理由も、ないと言えばないんですよね。


窓の外を見ながら、朝からブツブツ言っている僕に、妻はいつも、「行ける時に行ったらいいよ」「あせることないよ」などと言ってくれます。


いつもそれに救われていたんですけど。


今朝、とうとう僕の中で何かがスパークしたんです。(←んなたいそうな)


そうや。なんでこんなに毎週々々後ろめたい気持ちで暮らさなあかんねん。(←キレるな)


僕もね、そらええ加減な人間ですけどね、今まで人を陥れるような事はせずに生きて来ましたよ。


嘘や隠し事がなかったとは言いませんけど、それでも出来る限り正直に、あるがままに生きてきたつもりなんです。


以前、元ビートルズのポール・マッカートニーがインタビューで、「なぜそんなに良い曲を作れるのか」という質問に、「何故かは分からないけど、いつも良心に従って曲を作ってきたのは確かだよ」と言っていました。


そう。僕もね、少なくとも人生の選択を、悪意によっては成して来なかったという自負はあるんです。ホントですよ。


だからこそ人並み以上の幸せな毎日が送れているんじゃないかと思うんです。


何が言いたいかと申しますとね、いくら親が遺した物だとしても、こんなに後ろめたい気持ちで、不幸な気持ちで生きなくちゃいけない筋合いは無いって事なんスよ。(←勝手にキレてる)


もちろん義務は果たしますけど、こんなにいつもいつもクヨクヨしている自分にも嫌気がさして来たっていう事なんです。



それでね。(←説明が長いねん)


決めました。今日こそは、やろうやろうと思いつつ、伸ばし伸ばしになっていたあれをやるって。


とうとうやりました。


我が愛馬、ジョニー・サイクロン・御嶽1号・ダンケシェンスペシャル(ヤマハSR400改500)のフロントフォークのオーバーホール。


あのバイクの前脚みたいなところの中に入っているオイルと部品の交換です。




フロントフォークから抜いたサスペンションオイルです。元々はグレープジュースみたいな綺麗なワインレッドなんですけど、こんなに汚れてました。


見るからにおどろおどろしい色。やはり汚れたものって、見るからにそう感じるものなんですね。


出来ました。


もうこの際、工程はすっ飛ばしました。(笑)


ネットで調べている時にはかなり難しい作業なのかと思ってましたけど、何のことはない、すごく簡単な作業でしたよ。


案ずるより産むが易し。やっぱり行動に移さないと分からないモノなんだな。


それとね、こういう作業って、やっている時、本当に無心になれるんですよね。


ホント、心からスッキリ。


それでね、このままの勢いで今日はタイヤ交換もする事にしました。


エアフィルターもバッテリーも点火プラグも買ったし。純正マフラーは2本も買った。キャブレターのオーバーホールパーツも注文したし。


一度、ノーマル状態にするつもりなんです。しばらく乗れてなかった分、また一から、生まれ変わったみたいに楽しめるはずだと思って。


僕とした事が。いつでも乗り出せる状況を作っておかなかったなんて。ホント、どうかしていたんだな。


よっしゃ。ワクワクしてきた。停滞していた何かが一気に動き出した気分だ。


やっぱり自分が楽しめる環境は自分でしか作れないんだな。


古いオイルはキッチリ捨てて、また走り出そう。


この素晴らしい人生の道を。


なんてね。



(写真は5月末に京都府宮津市にて撮影。珍しく飛行機雲が交差していたのですが、トラックを停める場所を探している少しのあいだに片方が消えてしまいました。)