山本勘助の最期 | 行住坐臥

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一日の出来事を徒然なるままに書き記しています。



第四次川中島の戦い、八幡原での両軍の激烈な戦いにおいて、その師兵の被害は甚大で、なかでも武田軍は重臣クラスに多くの死傷者が出ています。
武田信玄の弟・武田信繁、諸角豊後、山本勘助、初鹿野源五郎らが討ち死にし、嫡男義信と信玄自身も負傷しています。

軍師山本勘助の死は当時の講談、歌舞伎あるいは人形浄瑠璃などの影響で劇的なものとして数多く描かれています。
また武田・上杉両雄を凌ぐ人気を得た結果、その歴史から離れて縦横無尽な働きをし、かえってその実在さえ疑われ、未だに実在していたのかさえわからない扱いにくい人物です。

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