安政五カ国条約 の締結が 勅許 を受けられなかった背景には、
外国との外交・通商を 孝明天皇 が許可されなかった事情もありましたが、、、
関税自主権がなく、領事裁判権を認めた不平等条約 の締結の全責任を幕府が背負ってくれたことは、後の日本にとっては有難いことであったと評価できますね(笑)。
朝廷からの勅許を得ずに米国と通商条約を結び、反対派を「安政の大獄」で 弾圧・粛清 した 井伊直弼 が討たれるのは歴史の必然でありました。
戦後、江戸幕府の政策や幕府側の人物に対する再評価が進むなかで、
明治維新を全否定するかのような主張 も一部で流行ったことがあります。
しかし、忘れてはならないのが、
当時の日本に於いては「お上」に対して請願したり、陳情すること自体が死刑となるくらいの「大罪」であった ことであります。
年貢の引き下げを平和的に陳情した義民達の訴えであっても例外はありません。
最終的にその訴えが認められたとしても、権力者の面子や体裁を理由に原告が磔刑に処されるというのが、江戸時代以前の日本の現実です。
勤皇志士 が「テロリスト」だというならば、幕藩体制 という支配機構そのものが「テロル」だったと言わざるを得ません。
……果たして、そのような理不尽かつ不公平な支配のままの方が良かったと言えるでしょうか?
私はそうは思わないです。
仮に、幕府主導での近代化が成功していたとしても、徳川家や諸藩による封建体制は維持されることとなり、
軍制 や 教育、インフラ など様々な分野に於いて現実の日本史よりも大幅に遅れていた筈です。
薩長による「藩閥政治」が続いたと言っても、明治維新が諸藩の下級武士が中心的な役割を果たしてきたことは事実です。
国民大衆が平和的に請願したり、
自由に意見を発信する権利、
それに必要な環境が整えられた現代に於いては、暴力的な手段で要求を飲ませる政治手法 (※テロリズム) が許容されないのはいうまでもありませんが、昔はそんなに甘くはありませんでした。
テロしか手段がなかった時代もあったのも確かです。
ただ、それだけの事であります。