伝統を次世代に継承していく上で、前例を参考にしていくべきなのは言うまでもありません。

 ですが、ケースバイケースで臨機応変に対応しなければならないこともありますので、
前例といっても、それは 必ずしも絶対ではありません。



 皇統護持に関する議論に際し、男系男子固執論を掲げる保守派が、
「旧宮家出身の男系男子の復帰は、前例があるから大丈夫」
と、主張していますが……、


 その一方で、過去に10代 8名の女性の天皇(※女帝)が御座し、その女帝の皇子が天皇に即位された前例があるにも関わらず、
孝謙天皇(※称徳天皇)のように、女性で皇太子となられた前例もあったにも関わらず、
前例があっても、女性天皇の即位に反対らしいのです。



 そして、明治22年に旧皇室典範(※旧典範)が出来るまでは、女性皇族が皇族以外の男性と結婚した場合でも、
その身位が内親王である場合は、臣下の男性と結婚した場合でも皇族としての地位を失うことはありませんでした。

 その証拠に、徳川家茂公の御台所となられた和宮も、
徳川親子となったわけではなく、
親子内親王として、明治10年薨去された 6年後の 明治16年 8月27日に、一品(※皇族に与えられる位階のなかで最上位)を追号されています。

 加えて、旧典範 第44条の規定に於いても、女性皇族が降嫁後も『内親王』『女王』の称号を有することが認められることも明記されていました。

第四十四條 皇族女子ノ臣籍ニ嫁シタルハ皇族ノ列ニ在ラス但シ特旨ニ依リ仍內親王女王ノ稱ヲ有セシムルコトアルヘシ

 これだけ挙げれば、女性宮家創設に関しても特に問題無さそうな気もしますが、
固執論者は、事もあろうか頑迷に拒絶しています。

「何がなんでも伝統を変えてはならないのだ!」と主張してきた彼らにとっても、前例は絶対ではないことが明らかになってしまいました。


 皇位継承権が男系男子に限定されるようになったのは、
旧典憲が制定された明治以降であり、昔からそう決まっていたわけではありません。

 女性宮家も、女系天皇も、伝統破壊という程のものではなく、今日に於いては何ら問題ないと思います。

 そして、皇籍を離脱した方々の子孫である旧宮家出身者を皇族にすることは、
如何に前例を盾にしたとしても、旧宮家に対する批判的検証を押さえることの難しい今日に於いては、実質不可能と言っても過言ではありません。

 臣籍に降下した元皇族が復帰できた状況を考察する場合、当時の皇室の威光が、今と比べて強くなかった事実に目を向けなければならなくなります。



 古代日本に於ける大和朝廷は、実質、皇室の祖先を戴く各地の豪族の『寄り合い』のようなものであり、大化の改新が起きるまでは天皇の地位も絶対とは言えませんでした。

 その後も、弓削道鏡が皇位簒奪を目論んだり、平安京に於いても摂関家の藤原氏による専横が罷り通っており、
『君臣の別』が今と比べて曖昧だった当時の状況は、
臣籍に降下した元皇族が皇籍に復帰することは今よりもずっと簡単であった一方、
女性天皇の配偶者(※皇配)を臣下から選ぶことや、女性皇族と臣籍の男性との結婚が、皇室にとって危険なものであったことは容易に理解できます。

 ですが、それを現代にそのまま当て嵌めて論ずることは、何度も言いますが時代錯誤であります!!

 伝統を次世代に継承していく為には、固陋に甘んじて思考停止するのではなく、時代に合わせて改良すべきところは改良する勇気も必要であると断言します!!