ましてや、記録の残っていない時代から続いているものなら尚更のこと。
結局、それが絶対であるかのように持ち上げられる 所謂『不文の法』の概念にしたって、保守派にとって都合の良い『解釈』に過ぎないわけで、それが正しいものである保証なんかありません。
それどころか、その意味について説明がなされないまま「伝統だから」の一点張りで思考停止しているようでは、この先も通用するとは思えません。
それを男系男子固執論者は理解できていないんでしょうね?
皇室の素晴らしさは、合理的に説明しようとすれば、いくらでも可能であります。
システム上の立憲君主制についても、伝統的権威である君主を国民統合の象徴として戴き、実際の政治は様々な考え方を有した国民の代表者を選挙するシステムにした方が、選挙によって選ばれた大統領を元首とする共和制よりも安定した統治が行われることが期待できます。
古事記・日本書紀の時代に遡ってみても、
それまでの各地の豪族による勝手な『支配』から、天皇の祖先を象徴として戴く豪族達の合議制によって作られた王権(※大和朝廷)による『統治』への変遷は、我が国によって自然発生的に誕生し、補完されてきた『叡知』を今に受け継ぐものに違いありません。
我が国の国体の正統性は、天照皇大神の子孫である天皇陛下を戴くことにあります。
実際のところ、科学的には万世一系に対して懐疑的な現代であっても、皇室の歴史が古代から続いていることは異論がありませんし、
実際の血縁関係については議論のあるところですが、天照皇大神からの皇統を受け継ぐ天皇陛下を象徴として戴くことに対する共通認識こそが、日本人を、日本国民として強固に結束させることに繋がっているわけであります。
それを語る上で『男系』か『女系』かなどは、そんなに重要なものでしょうか?
実際に、サリカ法の考え方に基づいて制定された皇室典範において、男系男子による継承が明記されたのは明治の頃からであり、
それまで男系のみ(※それも議論の余地はあるが)による継承が続いてきたのも、
単に、此れまでの日本が男性中心の社会であったからに他なりません。
今は、女性天皇が配偶者(※皇配)を民間男性から受け入れたとしても、更に、その皇子が即位する女系天皇の時代が来たとしても、何ら問題ない社会になっていると思います。
むしろ、頑迷な連中によって殊更に『女系』がわるいものであるかのように連呼され続けることが、国体そのものの否定に繋がっていると私は危惧しています。
「男系男子でなければ皇室じゃない」「男系維持が不可能となった時点で天皇制廃止」とまで言う程に頑迷なデマゴーグが存在しますが、そのような無責任な連中が尊皇を標榜すること自体、倒錯しています。
いつまで経っても開けぬ奴等が、この国の伝統を破壊するわけであります。