阪神淡路大震災を思い出す | ユニコーンのブログ

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病院の送迎、介護の為臨床検査技師を離職
3年前からうつ病になった女のひとりごと

きのうは3月11日

『東日本大震災』の日


13年前のこの日は忘れられへん

この時はまだ『臨検技師』ではなく、普通の商社の事務員をやってた

この時臨検技師の募集があんまなくて給料安いとこしかなかったんよなー確か



で、15時前

お客様に連絡をいれないといけなくて、一本電話をかけた



すると電話口から

あんた!今どないなってんか知らんの?!

親戚からの大事な電話待ってるから、今日は連絡してこんで!ムキー



と、すごい勢いで怒られたガーン

一方的に電話を切られ、唖然・・・



周りを見ると、他の社員達も同じ様な反応をしてる人がいた

目を合わせて固まってた



そこへ専務が帰ってきて


東日本が地震でえらいことなってる!

今日はもう仕事どころちゃうから、親戚とか家族とか東北おる人はすぐ帰って!確認とって!

今日はもう仕事終わりや!


で、また専務はバタバタと出て行った真顔



・・・え?!無気力

誰かがテレビをつける

みんなで会社のテレビを観る



とんでもない光景が流れてた・・・



そして・・・

『阪神淡路大震災』を思い出した

フラッシュバックして泣き出す人もおった

その人は神戸やった

抱きしめることしか出来ひんかった




あたしも『阪神淡路大震災』の経験者

ただ、あたしは家の壁にヒビが入って、タンス、冷蔵庫、食器棚なんかが倒れたくらいで

くらい言うても、足の踏み場はなかったけどね



命はみんな無事やった




あの早朝のことはやっぱり忘れられへん

とにかく怖かった

まだガラケーもない、ポケベル時代の話

固定電話が主流の時代に

連絡を取ろうにも手段がない

友達とも何日も無事の確認が取れない

みんなテレフォンカード片手に走ってた記憶もある



長田区・須磨区あたりの火災を見た時は

『この世の終わり』を感じた記憶もある



そして、とにかくあたしはに困った

トイレ、ほんとにこれが1番困った記憶がある




そしてまた今年・・・能登半島




阪神淡路大震災はもう知らない若い子も多い

でも、あれ以来あたしは水がないという恐怖から未だ解放されず、

子供らにも『アホちゃう?』って言われるくらい水の確保だけは必ずしてる



水の重みで家の底が抜けてまうわ!ポーン



何と言われてもやめられない・・・真顔



分かってくれる人おるよね?



すべての震災で亡くなられた方の

ご冥福をお祈りします・・・