受験を通して見えてくる、親子の本質 | 発達障害一家・5人揃ってアスペ+ADHDだからできること

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ADHD+アスペルガー症候群の当事者です

息子たちと旦那も同じ障害を持っていますが
だからこそできること  を大切に。
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猫ママ、怒涛の11連勤を終えて、現在3連休中!


…でも、今日で最後なんですけどね




受験シーズン真っ只中。
おかげさまですでに進路が決定した次男も、高校からの課題に追われつつ…
今週からは、入学予定の高校の練習にも参加する予定。

それぞれの人生の分岐点で、
それぞれが選んだ進路に向かって、それぞれの道へ一歩を踏み出す15歳の子供たちの姿に…
毎度心を打たれる季節です。

春になって、
新しい制服に身を包む彼らの姿…
それはとても晴れ晴れしく、
その姿を見ると、眩しくて涙が出そうになる。

それは、この冬の季節に、目標に向かって必死に耐えて頑張る姿を見ているからで。

まだまだ子供の彼らが、小さな胸を痛めながら、耐え、凌いで、戦いながら前に進んでいく姿は、正直胸が痛む。

長男の時、最後の最後まで諦めず、毎日毎日机に向かうその姿に、逞しさを覚えたものです。



まだ15歳…
思春期の真っ只中で、
初めて自分の人生に責任を持つ決断をする。

子供だけど、
子供じゃない。

だけどまだ子供で…

そんな彼らが、自分の進路をかけて、同世代と競い、自分のために、その進路を勝ち取っていかないといけない…

受験って酷なもんだな


そんな風にも思いました。


初めてぶつかる「現実」という壁。

それを、「乗り越えて」行けるかどうかは、本人次第?

もちろんその通りなんですが…



それをサポートする親御さんの「在り方」が。
子供がそこを「乗り越えられるか」を大きく左右する…

ものなんだな  と。
年々痛感しています。


毎年、知り合いの誰かのお子さんが必ず受験を迎えているわけですが、
親の考え方、取り組み方…
それってやっぱり、子供のそれにダイレクトに反映していて。


この後に及んで「なんとかなるでしょ」な感覚でいる…
もしくは、「固執」している…
それは「悪い意味」で。
そんな親御さんのお子さんは、やっぱり現実見えてなくて。

そんな親子は、たいてい思うような成果は得られない。
そんな親子を何組も見てきました。


理想の進路。
目標の進路。

それはとても大切で、それがなければ、ある意味での「いい道」は拓けない。

だけど、子供の能力を買い被ったり、世間の目を気にしたり…
高校自体に優劣をつけていたり。

「これくらいのレベルはクリアしてくれないと」な感覚でいるようなおうち?
判を押したように、不本意な結果に終わっています。


なんだろ?それって、見てるとある意味で「就職ありき」なんですけど、
テレビの世界の…一部上場企業の証券会社で働くのが「いい進路」だと受け止めているような。
その時点で現実見えてないなぁ  ていう…


子供ありき  ではなく、
印象?「一般的な」いい人生?
そんなものありきの人生設計。

最初から親が理想とする人生に向けて歩かせていて、
たいてい小学生の頃から「進学塾」に通わせていて…
えーーー!   っていうような塾代払い続けてるようなおうち。

*もちろん、小学校から塾行くのが悪いわけではないんですが。


そのために必死に働いて、自分の時間を犠牲にして、
「こんなにお金かけてるんだからそれなりの成果出してくれないと困る!」
っていうやつ…




え、でもそれって、親が行かせ始めたんだよね?

↑猫ママ心の声




本人の意志…
なことはほとんどなく。

親御さん的には、「本人に聞いて決めた」って言うんですけど、
聞いてると結局 誘導してるだけなんですよね。

それは、塾だけじゃなくて、全てにおいてそうなわけで…


本人に決めさせた。

と言いながら、実は「その答えを出すように」導いてしまっている。


決して他人事ではなく、
猫ママ自身も気をつけていてもつい陥りがちな落とし穴。

親って、どうしてもついつい…
心配だから、可愛くて仕方ないから、
自分の中で「このほうがいい!」って思う方向に無意識に子供を誘導してしまうもので。

どんなに気をつけていても、少なからずその傾向はどの親にもある。


でも、子供には子供の人生があって、
自らの意志で決めたものでなければ、その人生に責任は持てないし、頑張ることも踏ん張ることもできないんです。

それは、人間誰でもそうですよね。


義務教育…

小学校、中学校…と、まだ幼く判断能力の未熟な彼らに、
社会のルールや常識を教える意味合いで、相談したり、教えながら、正しい道へ導くのは親の務めで。

そういう意味で、義務教育の間は親が決めないといけないことが沢山あるのも事実で、
「子供」な彼らにはわからないことは、決めてあげないといけないことのほうが多い。

けれど、15歳。

立志   の、年齢。



ここから、彼らが彼ら自身で選ぶことが始まる。

それは、それだけの力がついていることの証明で、
義務教育が9年間なことにも、
立志がこの年齢なことにも、
発達段階としての根拠があるから。


就学に適した年齢が7歳なのと同じように、
自ら決断して、独り立ちして行くのに適した年齢が15歳である。

だから、この年齢で区切られているんです。


子供だけど、そうじゃない。
まだまだサポートは必要だけど、
彼らには、それを乗り越えていく力が充分あるはずなんです。


突き放すんじゃなくて、
信じること。


心配だけど、守ってあげたいけど…


けれど、「その子」の力を、
本人の「人間性」を、信じて。


1人の人格として認め、尊重し、
彼らの決断を見守る。


「受験」は、もちろん高校へ進学するための試練で、これに合格しなければ高校生になることはできない。
そのための「戦い」であることは事実ですが、

その戦いは、ホントは何との戦いなのか?



親も子も、それはきっと、「自分自身」で。



不安な気持ちと向き合いながら、自身を説得し、奮い立たせ、
前に踏み出し、挑戦して行く。

相手は「周り」ではないはずです。


その時、
あなたは我が子を信じて、我慢して、
どんな結果でも受け止めて、進んでいくことができますか?

自分の価値観と違っていても、本人の希望や意志を本心から受け止めて、見守ることができますか?


子供は、そんな自分の本質を、親である自分自身に見せてくれますか?




受験って、そういう親子の本質がとてもよく見える。


それまで、どんな風に子供と向き合ってきたか、どんなふうに導いてきたか…

突きつけられる最初の出来事…なんじゃないかな?


これは、きっと定型児でも障害児でも同じことで。

「本人」をちゃんと見て、
「子供と」向き合えているかどうか。

受験だけの話でもないですが…
それが大きく露呈する、大きな節目。



「世間」や「周り」ではなく、
「子供」を見ていたい。

そんなことを、毎年、思い知らされる…





親にも試練   な、そんな季節。
それぞれが、それぞれの道へ歩き出せますように…
毎年毎年、願わずにはいられません。