絶歌を読んで。① | 発達障害一家・5人揃ってアスペ+ADHDだからできること

発達障害一家・5人揃ってアスペ+ADHDだからできること

ADHD+アスペルガー症候群の当事者です

息子たちと旦那も同じ障害を持っていますが
だからこそできること  を大切に。
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この記事より、匿名記載はしません。
事件の認知度から、被害者の方をあえて匿名にすることは不自然であり、
それにより、元少年Aこと酒鬼薔薇聖斗のみが匿名で扱われることに疑問を感じると共に、遺族に対して失礼だと判断したからです。

元少年Aは、現在は偽名を使って生活しているかと思いますが、
あえて本名の東慎一郎と表記します。

もうとっくに成人して、社会で生活してるんだから、これくらいは想定内ですよね?

東くん。




*このシリーズの記事は、ご遺族・その関係者の方は読まないでいただくよう強くお願いします。
傷を深める意図は全くなく、あくまで「事実」を記載するだけ…  
それに関して、客観的な分析をしていく記事ですが、
結果的に深く傷つけてしまうことになると思います。
絶対に読まないでください。

*書籍の内容を含みます。
買うのは抵抗があるけど、内容が知りたいという方が購入しなくてもすむ程度には書き込んでいきますので、ご注意ください。

*描写が心理をえぐるような表現が多く含まれることになります。苦手な方はご注意ください。










タイトルのページをめくると、その裏に、祖母と写る三才の東慎一郎の写真が載せられています。



「この写真を載せるということは、何も変わっていないってことだな…」



そう思いました。









「名前をなくした日」


そんなサブタイトルで、文章は始まります。






 一九九七年六月二十八日。
僕は僕でなくなった。







そんな書き出し。

自らを「透明な存在」だと記した犯行声明を思い出させるような、当時の自分の存在を説明する記述から、

逮捕されたその日からの、取り調べ、拘置所の生活、現場検証…

どんなふうに進められたか、そしてどう思ったか。

取調官や、自分を逮捕した刑事、拘置所の監視官全てに独自のニックネームをつけ、
彼らの特徴を挙げながら、自分なりの解釈で彼らの人物像を分析していく。

まるで、どこかの小説の借り物のような「作った」書き物のような印象を受けました。





*私もカッコつけて書いてもしょうがないので、飾らず自分の言葉で書いていきます。
適切でない表現や不愉快な表現が含まれると思いますが、本音を書きたいのでご容赦下さい。




正直、シラけました。






なんだこれ、つまんね。




取って付けたような言葉で、わかったような哲学を並べ、
その後に続く、祖母の存在やその死、それから自分が堕ちていく様を綴る文面は、どこかの拾い物か、他人事のような表面的な文章が並びます。


「東慎一郎」という人物を外側から紹介している   ような。







「カッコつけてんじゃねーよ」

そんな印象。



その他、事件の概要だったり、逮捕の状況や供述の内容は、特に新しいものはありません。

ただ、彼は彼の言い分があるんだね。
って感じで。




しかし、そこから、

初めて猫を殺した時。
その時のことを事細かに書き出す部分から、一気に言葉が生々しくなり、
まるで実況中継しているかのようなリアルな描写が表れました。


その描写は、あまりにもリアルで…
正直、少し吐きそうになりました。


「東慎一郎という中学生の男の子が、何十匹もの猫を殺し、解剖し、
ついには小学生を2人もを殺めて、
その頭部を切断し、持ち去り、
自分が通う中学校の正門前に遺棄した」事件であることはわかっていても、
それはあくまで文字と、「関連した」映像でのみ伝えられていて、
「目の前」で起きたことではなくて。

しかし、猫を殺した時の描写は、
まるで目の前に「それ」を持ってこられたようでした。



「ホントにこいつがやったんだ」

という、実感。


これだけリアルな描写を、18年後に「できる」ということは、
彼の中でもまだ「リアル」なんだ  と。


そう感じて、背筋から体が冷たくなるような恐怖を覚えました。




元々知っていることなんですが、
何か変な実感みたいなものを感じましたね。




私が驚いたのは、彼が初めて猫に手をかけたのは、「自宅の庭」だったということ。

そして、
その猫の遺体を、敷地内に埋めたこと。



自分の居住空間でそんなことができるのかと…
「初めて」がそれだったことに驚きました。



この辺りから、性に関する事柄が多く見られ、
終わりまでずっと、事あるごとに自らの性障害に繋がる文章が出てきます。

彼にとって、これがどれだけ大きなコンプレックスか、
そして同時に、どれだけそれが「大事」か。

もう嫌ってってほどよくわかりますね。