絶歌 を読む。 | 発達障害一家・5人揃ってアスペ+ADHDだからできること

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ADHD+アスペルガー症候群の当事者です

息子たちと旦那も同じ障害を持っていますが
だからこそできること  を大切に。
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買いました。
読みました。


この本を読み、
感想とともに、改めて酒鬼薔薇聖斗について書くつもりでいます。



その前に。


この本の購入にあたり、様々な評価や、いろんな人たちの
「この本を買うこと・読むことについて」や、
「この本の出版について」
の考え方に触れました。


大きな議論を巻き起こしており、
どちらについても、感情的に否定的な意見が多数を占めています。


それでも、私は迷わずこの本を買いました。
まずそれについて、
感想や彼についての記事を書く前に、
書いておきたいと思います。





以前から私のブログを読んでくださっている方々は、私がどういう意図で彼のことを調べ、また、彼のことを語っているのか、ある程度はご理解いただいていると思います。


それ自体に、肯定的な方も、批判的な方も、当然いるだろうことも承知し、
その上で、
それでもある種の「興味」を持って長い時間をかけ、私なりにエネルギーを費やして調べてきているこの事件について…
というよりは、「酒鬼薔薇聖斗とその家族について」   私なりに、このブログの読者の皆さんに知ってもらいたいことがあって、

あえて書いてきたものです。

また、単純に、私の自己満足でもあり、
それなりの情熱を持って取り組んでいることに関して、素直に「表現したい」という感情があることも事実。



私たちより上の世代なら間違いなく誰もが覚えているであろう衝撃的な事件で、
その残虐性はもちろん、反社会的な犯罪であり、
それが未成年・しかも中学生の犯行であったこと。

社会に与えた影響は計り知れず、
明けても暮れても、マスコミはこの事件を追いました。


それはなぜか?


残虐だからこそ、
異質だからこそ、
世間の「興味」を引いたわけです。


今、この本一つが、これほどに議論を巻き起こしているのも、同じ理由でしょう。


人は、語りたい生き物である


と、この本自体も、証明しているもので。




持論を展開し、他者と討論を行うことは、人間の知的欲求の根源です。
それがどんな事案であれ、
他者の意見と自身の表現を比べ、合わせ、価値観を築き、
自らの人生に反映していく能力を持つ私たちは、それにより成長していきます。


その題材がなんであれ、
疑問に思ったことや、強く興味を持つもの、また、自分の中で自信があるものや逆にないものに対して、
その意義は大きくなると、私は思います。


私は、彼の中に、自身や子供たちに通ずるものを感じ、
それを解体して分析し、
その中で、「なぜこのような犯罪を犯したのか」の理由を探しています。

このブログは、発達障害を前面に出し、
その障害を受容し、その中で未来を拓こうとする人へ向けて、
私の知り得る「役立つ情報」を発信することを目的に書いています。

おこがましいかもしれませんが、
苦しみがわかるからこそ、
大変さがわかるからこそ、
ある意味で共有し、
ある意味で支えあって、

ほんの少しだけ、障害児子育ての長い私が、これからその時期を迎える皆さんに少しでも見通しになることが伝えられれば、

少しでもヒントになることがあれば、

少しでも、みんなが楽しくなる方法が伝えられれば  と。

子育てに必要な情報として、
「いいこと」だけを伝えても、「楽しい人生」につながるとは、私は思いません。


嫌なことも、辛いことも、
これはマズイ!  って、焦るようなことも…

それも含めて発信してこそ、本当の意味で「役に立つ」と考えています。



彼自身、この著書では、「性的サディズム」と呼ばれる性障害についてのみ、自身の障害に触れていますが、
彼は発達障害の診断を受けており、
その可能性はかなりの確率で間違いないものと思われます。

だから、
このブログで、彼のことに触れている。


決して、障害=犯罪  ではありません。

障害者だからといって犯罪を犯すわけでもなければ、
その確率が定型者より高いわけでもありません。

ですが、
発達障害を持つ人が犯罪を起こす時、
その理由は、その特性に起因することが多く、
もちろん、生育環境やその他の社会的要因が絡んで   そこで初めて「犯罪」に繋がるわけで、
ようはサポートの問題にもなるし、
本人の障害受容がなかったり、それ自体知らなかったり…
そちらの方が大きな原因になりうるんですが、
起こしてしまって、探っていけば、
その起因は特性につながることが多くある。

その「特性」をどう扱うべきか、
そのために、「反面教師」として、過ちを犯してしまった人間の分析というのは、自身の子育てにも大いに役に立つ。

私はそう考えます。



「私は、私のために」
彼のことを調べている。

そしてそこには、私自身の特性も絡み、
中途半端に調べて満足することはないし、
? の理由を探求してしまう、止められない  のは、それが例え社会的に批判を受けることでもなんら変わりはありません。

だから、「迷わず」この本を買いました。






この本を購入することで、彼に印税収入が発生することも充分わかっているし、
犯罪者が、犯した罪を利用して金儲けをするなんて言語道断だ!   と、仰っる方々の意見はごもっともで。

買えば、それに加担することになる。



何より、ご遺族を傷つけることを承知の上で無断で出版したこの書籍を購入することは、
ご遺族に対する冒涜であろうと…
それでは、彼と同罪であろうと。

当たり前の話です。



読んで、1番強く思ったこと。





ご遺族は読まないほうがいい。
特に、Jくんのご遺族は…
絶対に読まないで欲しい。

それだけ、傷つく内容が含まれています。
それだけの事実を、他人の私が「知る」という事。

それがご遺族を苦しめる。
そんなことを、他人に知られる…
本当に、身を切られる思いだろう…

心臓が煽るくらいに、ご遺族の痛みが響きます。






でも、
私は、いつか絶対、彼は書くだろう   と、思っていました。

これだけ長い時間をかけ、エネルギーを費やして調べてきた「もの」であるこの事件に関して、
不謹慎なのは承知の上で、


これ以上の資料は他にない   と考えます。

批判を受けるかもしれませんが、
私にとっては、まさに待ちに待った出版でした。


本人の言葉   それを待っていました。







あとがきで示唆するように、
彼は、もはや社会に適応する可能性を見失っています。

あれだけの犯罪を犯した人間です。
自分のために、これくらいのことは平気でやってのけることなんて想定内です。

だからこそ、ご遺族も、「マスコミには出ないで欲しい」と、あえて訴えてきたのでしょう。


それをまんまとやってのけた。


そういう人間だ。  と、
そう判断されても、自己の欲求を優先する。

それは確かに、蘇生術として成り立って、
この先、また自身を追い詰めることになっても、それを選ぶ。
それが彼の人生でしょう。



私は、基本的に、物事は客観的に捉えたいと思っています。

それは、自身のことももちろん、子供達のことも。


この本の出版に関して。
それ自体は、批判されて当たり前、販売中止になって当たり前。

これを世間が容認するわけがありません。


それと同じように、
出版した出版社が批判されるのも、返品されるのも当たり前。

そして、各書店が、
これを売るのも売らないのも書店の判断で、自由。

それを買うのも買わないのも個人の自由。

私はその中の1人です。




私は、
この本に関しては、
「資料としての価値」に大きな意義を認め、購入し、読むことを選びました。

これを逃したら、「本人」の言葉を目にすることはまずないでしょう。

当時、誰もが求めた、「酒鬼薔薇聖斗」の生の言葉。
私にとっては、見過ごすことは絶対にできません。



この本に関して、
社会的な批判が強いことも、ご遺族が苦しまれていることも、しっかりと承知し、

これもおこがましいと言われるかもしれませんが、


その、ご遺族の痛みも、しっかりと自身で受け取り、共感し、
その上で、


だからこそ、客観的に


記事を書いていきたいと思います。