あーだこーだと学校とのやりとりを書き連ねてきましたが…
これは、是非、学校の先生方に読んでいただきたい記事です。
相変わらずの個人主観の記事で、
疑問を抱く方も、不快に思う方もいるかもしれません。
それでも、今の私の気持ちも合わせて、改めて考え、訴えてみたいと思います。
学校においての特別支援のあり方。
私が学校に持ち込んだ資料にあるように
(その資料はこちら→面談用資料)
文書にすれば当然こうなるし、
「どうすればいいですか?」
「どういう子供ですか?」
と訊かれれば、具体的に答えなければ通じない。
なので、学校に支援をお願いする時は、どうしても事務的になるし、
「作業」をお願いすることになります。
ですが、根本的に、本来それが間違っていて。
だから、私はなるべく学校に「お願い」はしたくないんです。
今年度、
前年度まで必ず行っていた年度始めの面談をこちらからお願いする作業をあえてしませんでした。
その理由は、
1.担任が年配の教諭だったこと。
→年数を重ねた先生は、それぞれのやり方が確立している場合が多く、「お願い」ごとをすることが逆効果になりやすい。
こちらが思い描く支援でなくても、先生が培ってきたやり方が結果的にうまくさようすることも多く、問題が起きる前に提案をすることがプラスとは限らない。
2.学校の体制を信頼していた。
→次男が通っていた頃、特別支援教育法が施行され、ある程度学校自体の取り組みが見えていて、
教育の場での理解が進んでいる感触があったので、少し手を離しても、学校側で試行錯誤してくれるかもしれないと期待した。
3.うちの小中学校では、不登校自体の数が減っている。
→これを一つの成果として捉えました。
中学の先生からも、小学校での対応がしっかりしていて助かっているという話も聞いていました。
これらの理由を総合して考え、
今年は学校に任せてみよう。
と思いました。
結果的にこれが間違いだったんですが、
正直残念です。
学校を含めた、保育園や仕事など、社会全般に子供を出していくときに、私が最優先としていることは、
二次障害を起こさないこと。
です。
なので、我が家の次男は、ビックリするくらい成績は低いし、
三男も「勉強」ができるかといったら、わかりやすくできない部類に入ります。
(小3で、2・30点程度。算数だけはできます。)
部活その他の成績や、クラスでの立ち位置その他…
*ここで言う立ち位置は、三男のいじめに関わる「立ち位置」とは別物です。
ようは、クラスの人気者ーだとか、そういう立ち位置。
↑編集部分はここ。
見てわかる成果は、正直どうでもいい。
言い方を変えれば、
普通に学校に行っていればそれでいい。
と思ってます。
「行ってきまーす!」と元気に出かけて、
「ただいまー!」と元気に帰ってくること。
こんな素晴らしいことはない。
それができたからといって、次々と望む気もないです。
普通に学校行ってるだけで充分頑張っているし、
人に迷惑かけたり、お友達を泣かせたりしていなければ、それはホントにすごいこと。
ありがたいことに、我が子たちは基本的にトラブルが少ないので、それがどれだけ本人たちが頑張っているかと思ったら、
それ以上頑張らせることなんてできません。
特に三男は、書く作業にストレスが大きいので、
全てにおいて「書くこと」で回答を示す現在の勉強のスタイルでは、正解だとかなんとかの以前の問題でストレスが半端ないわけで。
わかっていても、書くのがしんどいんですから。
半分しか書けなくても、それを叱るなんてできませんね。笑
次男にしても、彼は情報入力が難しいので、
現在の中学校の授業形式で成果を上げることは難しいです。
ましてや、二人とも見え方にも問題のある子供です。
専門的な支援がなければ、学習で成果を上げることはとっても大変。
視覚トレーニングその他でその緩和はできてきていますが、
限界点があるものに対してどこまで求めるかという部分でも、それもどうせ結果論で。
今ある力で最大限の努力をしている彼らのケツ叩きみたいなことに対して、私は意義は感じません。
幸い、じゃあ読めないって言ったらまた話は違いますが、
漢字であっても文字は読めるし、
三男にしても、「書く」のでなければ、小3の漢字はクリアしてますから。
「学校の勉強」で成果を求めることに意義は見出せません。
次男は受験があるので、彼が行きたい高校がある以上そのレベルを目指すことに協力はしますが、
あくまで彼の意志ありきで。
「投げやりな諦め」で志望校を落とすことには賛成しませんが、
理由が伴っていれば、全くもって構わないわけで。
よく、周りからは「猫ママは勉強ができたのに、なぜ子供に勉強しろと言わないの?」と言われますが、
そんなのやりたい奴はやればいいよ。と思ってるので。
以上。
基本的に、最低限の読み書き計算以外はどうでもいいんです。
四則計算と分数の概念があれば、人は生活できます。
漢字だって、書けなくても一定レベル読めれば、受験以外でそれを発揮する場面なんてあんまりないし、
それを個性として利用するかどうかな問題なだけで、生きるためにどうこう大した問題じゃありません。
ただ、
自分の目標を達成するために必要なことは、がんばれー。と思いますが、
そんなの言わなくても、本気だったら自分で勝手にやります。
わたしがどうこう関係ないです。
全くもって本人の自由。
果てしなくどうでもいいです。
そんなことより何より、
彼らが楽しく学校に通うこと。
そして、二次障害を起こさないこと。
それが一番大事。
能力を伸ばすこと。
学力を伸ばすこと。
それは、確かに、本人の可能性を広げることに有意義に作用します。
けれど、
どんなにそこを伸ばしたって、
(言い方が悪いかもしれません。ごめんなさい。)
二次障害を起こしたら、せっかく頑張って伸ばしても台無しになってしまう。
何度も言いますが、表現が適切ではないかもしれません。
でも、本音です。
現在、お子さんや家族が二次障害で悩んでいる方、苦労されてる方…
たくさんいると思います。
正直、皆さん、
二次障害さえ起こさなければと、少なからず思っていると思います。
様々な理由があり、
もしかしたら、誰かを傷つけているかもしれません。それはホントにごめんなさい。
でも、思うんです。
ホントにホントに切実に…
我が家の長男は、私の育て方のせいで、自己肯定感が低く、
今でも、常に私たちの表情を確認します。
テレビを見て、面白くて笑う…
その時も、必ず、親の顔を確認します。
それは何故って、自分の感覚に自信がないからです。
面白いのかな?
笑っていいのかな?
どこかに、そんな気持ちが隠れています。
本人も無意識です。
そんなつもりもありません。
でも、そんなふうに不安を抱えているんです。
自分の言動に自信がない。
そんな、ほんのちょっとのことでも。
それは、彼の言動を必要以上に制限している。
そして、それは、
彼の可能性を狭めているんです。
長くなったので、続く。