大人の発達障害者のジレンマ | 発達障害一家・5人揃ってアスペ+ADHDだからできること

発達障害一家・5人揃ってアスペ+ADHDだからできること

ADHD+アスペルガー症候群の当事者です

息子たちと旦那も同じ障害を持っていますが
だからこそできること  を大切に。
HP URL:nekomama.site


今日  母親と話して来ました。


彼女なりに  思うところがあったらしく
私と腹を割って話したいと。


のっけから謝られて

「あんたには  母親らしいことや  いわゆる子育てということは全くしてあげられなかった。
それはホントに悪いことをしたと思っている」

と  謝られました。



「そんなことないよ」

なんて  言いませんでした。


母は続けて

「あんたは頭が良くて  しっかりしていて
芯がしっかりした強い子だと。
だから  手をかけなくても自分でなんでもできると思ったし
なんでも切り開いていくと思って  ほったらかしにした。

なんの心配もないと思っていた」  と。

「でも  ホントは  あんたが1番手をかけてあげないといけない子だったんだ」


と。




私はもう37です。

この葛藤を  私は6年前に越えました。


次男の障害がわかった時。
なんの問題もなく  優等生で自慢の息子だった次男。

その次男が発達障害だなんて思いもしてなかった私。

「いいこ」の次男しか見ていませんでした。

その次男に発達障害の可能性を見つけた時。

その衝撃は  言い表せないものでした。



それと同じ葛藤を  母は今抱えているのです。

37年かかって…



子供からの訴えで。

私が  自身のその可能性を訴えてから…
何年目でしょうか。



「たぶん今の私が本来の姿で
おかんの言う私は虚像だ」

と  ハッキリ伝えました。

「私は頑張りすぎた。  だからもう  しっかりしなきゃ  と思うことはやめた」

とも。  


「できないことがあっても  ダメなところがあっても  私がダメなわけじゃないって思えるようになったのは  猫パパのおかげだ」  とも。

「あの人は  私のいいところを思い切り認めて
ダメな私もそのまま受け止めてくれる。
あの人と出会えたから  私は私としていられるようになったんだ」  と。



母親本人が  「子育てはしてない」という育てられ方をした発達障害者の私は
それでも  年齢が来れば自動的に年相応の能力と結果を求められ
それを無理矢理取り繕って  見せてきました。

失敗をしても  それはすべて私の責任であり
そして  それは「私がダメだからだ」と烙印を押され
「みんなやってるんだから」と。



今日は

「無理なことを  みんなやってるんだからと一括りにされて成果を求められても  私にはそれは無理だ」  とも言ってきました。

今日は  そんな話になるだろう  と  大人の発達障害の本を持参して行きました。


「結局これだよ」  とその本をおくと 母は戸惑っていましたが

私の話に  「その本置いていきな」と言いました。



医大にかかるつもりなことも
それは何故かも

この先  投薬も含めての治療…通院が必要だろうとも話し

母子手帳や生育歴をお願いするかもしれないと話しました。


…彼女はどうするのでしょうか?


できる私とできない私のギャップが受け入れられない   と

そう言った彼女の言葉がそのまま

ザ・発達障害   です。


一度や二度  関連書を読んでどうこうなる話じゃないことはわかり切っています。


私はどうするべきでしょうか?



このまま   医大に母を伴うくらいの覚悟を持たなければ  ホントの意味での「理解」は無理でしょう。

そこまでしてもわかってもらえるのかもわかりませんし
そこまでの気持ちが母に芽生えるかもわかりません。

でも  これを逃したら  もう  一生無理でしょう。


理解してくれたらくれたで  過干渉になることも覚悟しなければいけませんし

ハードルは高いです。


だからといって  このままにしておけば
間違いなく  私と母は死ぬまで水と油です。


恐らく  母自身も  発達障害者です。


その呪縛を解くために  踏み出すべきなのか

このままのらりくらりとやり過ごして  「母」を諦めるべきなのか


ハードルを越えるための労力と合わせて考えた時  どちらが私にとっていいのか…




突き詰めたところで
どっちにしても  私は私でしかなく


母が抱き続けている  「しっかり者の出来のいい娘」に戻ったら私が崩壊してしまう。


年の瀬に…



変なターニングポイントに立たされたような…



迷い道。  です。



みなさんなら…



どうされますか?