アスペっ子・ADHD児の就学② | 発達障害一家・5人揃ってアスペ+ADHDだからできること

発達障害一家・5人揃ってアスペ+ADHDだからできること

ADHD+アスペルガー症候群の当事者です

息子たちと旦那も同じ障害を持っていますが
だからこそできること  を大切に。
HP URL:nekomama.site


*このシリーズに関しては 言葉の言い回しを不愉快に感じる方が多いかもしれません。
マイナス面も隠さず 現実的なことを書きますので 負担になる方はスルーして下さい。
それでも読んでくださって なお不愉快な思いをする方がいたらすいませんm(_ _)m
また 記事の性質上 数値に触れ ある種の線を引くような表現も多くなります
苦手な方はスルーして下さいm(_ _)m








ここで扱っている標準域のお子さんに関しては・・・という書き方をしましたが。

凸凹の凸をとった場合 標準域以上の能力があっても
凹の部分は遅滞域

というのは こういったタイプのお子さんにはよくあることで
実際 私だって 記憶の分野はどっちも(視覚・聴覚共に)遅滞域です。

その凹の部分をどう許容しフォローしていくか

凸の部分をどう認め生かしていくか。


で もちろん 凸の部分を使った支援を求めるわけですが(代表的なのは視覚支援ですね)
これを普通級でどの程度取りくんでくれるのか。

「指示を理解できるか」にたどり着くための方法として大きなこの部分は
ハッキリ言って 現在の学校教育ではハードルが高く
目印一つおいてもらうのに一苦労なのが現状・・・な学校が多いです。

「そういった特別なことはしません。」

とハッキリ言ってくる教師が山ほどいます。

クールダウンの場所の確保なんて夢のまた夢です。[みんな:01]
(話がそれたかな?[みんな:02])


「わかりやすい・有効な支援」ほどハードルが高いような・・・

10年目の小学校で そんなことを思う今日この頃。

「そういった支援を求めるならば支援級に」

と言いながら

「支援級では学習に遅れが出ます」

と言い切る辺りが まぁ・・・「学校」だなぁ・・・と思うわけですが

普通級ではそこまで手が回らない
そっち側で努力して下さい

なのが現実としてあり

そういった意味も含めての「普通級に所属するなら努力がいる」という話になるわけで。

それでまた話が戻るわけですが。

いくら能力が高くても 情報の入力ができなければ「できる」わけはないんですから
困っちゃうわけで。

だいたい「もめる」のはこの辺の問題になります。


個人的な意見ですが・・・


私は 習い事の方で「先生」として日々発達障害児に「教える」立場にいるわけですが
正直 「1×30」で わかりやすく 満足のいく支援体制を作って実行することは難しいのは わかります。

うちでは 定型のお子さんも含めて15人程度をだいたい3つに分けて教えていますが
「ちゃんと」教えようと思ったら 3・4年生あたりでこの人数が限界だし
これ以上の人数にしたら 目が届きません。

現在 就学前のお子さんが2人いて
この2人がなんらかの障害をもっていると思われるんですが・・・

「習い事」である以上「教えて身につけさせる」ことを目的として成果を求めれば
結果的に この2人に私が掛かりっきりになります。

それが 少なくても倍の人数で 先生1人 となったら とてもじゃないけど見切れないだろう と。

そういった側面も含めて 「諦めも含めた許容」というのは 親も先生も持ち合わせて行かないと
本人も含めてみんなしんどくなりますよね

ただ 学校 というのはどうしても「勉強」が中心になるので
ここに明らかな遅れが出てくることはなるべく避けたい

だからこそ 担任の負担を軽くするためにも 適切な支援を求めるわけですが やはり「集団」という性質上 なかなかうまくいかないのは仕方ない部分も飲み込まないといけないとも思います。


その中には 「わかりやすく特別な支援」が 時に保護者同士や生徒同士の摩擦につなが る という側面もあり

そこでカミングアウトをしたところで 必ずしもうまくいくわけでもなく。

対 学校 だけではない辺りが
日本社会としての大きな課題だとも考えます。






続く[みんな:03]







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