当事者の本音 | 発達障害一家・5人揃ってアスペ+ADHDだからできること

発達障害一家・5人揃ってアスペ+ADHDだからできること

ADHD+アスペルガー症候群の当事者です

息子たちと旦那も同じ障害を持っていますが
だからこそできること  を大切に。
HP URL:nekomama.site


もしかしたら不愉快な思いをする方がいるかもしれませんが
ちょっとダークな当事者の本音を書きたいと思いますm(_ _)m


私自身は 大人になってから発達障害だとわかったクチで
いわゆる「大人の発達障害者」です

これまでの人生で 困ったことや傷ついたこともありましたし
中学の頃は一時的に不登校気味になったり
手足に原因不明の痛みを感じて 病院巡りをしたり
いじめられたり ハブられたり
仕事辞めさせられたり・・・してきましたが
なんとか生きていける程度の二次障害で済んできましたし
自分の得意なこともよくわかっていて

発達障害者の中では 比較的恵まれた状況にいる と思います

マイナスばっかり言ってても仕方ないし 愚痴ばっかり言ってても何も変わらないし
なるべく前向きに。

人生なんか「やるかやらないかだ」と 正直思っているので。
あんまり人前では 負のオーラは出したくなし
自分の人生は自分で切り拓いてやる と 思ってます。

なので 子供たちのことも
出来ないことより できる事 に目がいくし
不得意なことを 「なんとかしよう」とは あまり思っていません。

人に迷惑をかけることは 迷惑をかけないためのスキルを与えよう と思いますが
本人の問題なら できるようになりたいかどっちでもいいかは 本人の自由だと思っています


それは何故かって言ったら



「わかんないものはわかんない」

からです。


どんなに頑張っても
どんなに教えてもらっても
わかんないことは わかんないです左矢印これが本音


ルールとかマナーとか 状況ごとのパターンとか

教えられれば 「それ」はとりあえず理解できますが
「理解」しているか と訊かれたら 理解はできてないです。

よく アスペの子の言葉について「話してはいるが受け売りが多く 言葉の意味を理解していない」という表現が使われますが

ようはそういうことで。

自分感覚とずれていることを教えてもらっても 心のどこかで「腑に落ちない」ことは多いし 「わからない」

どんなに教えてもらっても 機能的に備わってないことは無理です

その分野や内容は人それぞれだと思いますが

ホントに。

いくら言われても わかんないもんはわかんないし 覚えられないものは覚えられません


今言ってるのは
「やり方次第でできる事」のさらにその先の話で。

不得意なこと というのは
どんなに頑張っても 人並みには無理です

ホントに単純な。根本的な能力の話で。

私の場合は 「記憶」です

ならメモすれば。

と言われても メモすること自体を忘れてしまうし
言われたことを 見たことを

書くまでの何秒かで忘れます


献立を考えていて
2つめの料理を決めたところで 最初に考えたはずの料理を忘れ
「なんだっけ?」・・・と考えていたら またその前の2つ目を忘れている

スケジュール帳を見て 予定を確認して 閉じた途端に忘れてて またひらいて確認して・・・何回も繰り返します

子供に「飲み物ちょうだい」と言われて立って


「なんだっけ?」 とか・・・




音ならば。

テレビを見ていて 横から子供が話しかけてくれば テレビの音は一切聞こえず
私はテレビの音を聞きたいのに 子供の声しか聞こえない

神経のスイッチが 自分の意志で動かせない

どんなに頑張っても 子供が黙らなければ テレビの音は聞こえないんです

二つのことを同時にする とか 絶対無理だし
だから 一個ずつに分けて作業するんです。

当然時間はかかりますが だからって同時進行で時短をはかるなんてしたら めっちゃくちゃになって 頭の中ゴチャゴチャになって パニクるので

時間を短くしたいなら 一つ一つを早くやるようにするしかありません左矢印これが工夫
でも 根本的な能力は変わっていないわけです

いくら「頑張って覚えなきゃ」とか「今はこっちをきくんだょ」とか 「これをしながらこれした方がいいよ」とか言われても
無理なものは 無理



凸凹の凹を □にするのは 不可能です




だったら 凸 と 凹 を ひっくり返してはめ込んで

よく見たら中の線はおかしいかもしれないけど 全体として形になっていること選んだ方が自然です





早期発見・早期療育は そのままいくのと比べれば歴然とした差があり
与える刺激の数や質で 能力の底上げが可能です


ですが

平にすることは不可能です


障害 って そういうこと。



できることが増えれば 本人の楽しみも増えて 可能性も広がります

ですが 出来れば


「底上げ」は自然に任せて・・・


出てきたものを 一つずつ。

その分
「工夫」と「許容」に重きを置いてもらいたい。


私自身 子供を育てている中で

「やらせよう」とするよりも
「手助け」をしていた方が
結果的に子供たちのできることは増えているように思います




「頑張って」 は しんどい言葉だなって 思うことが よくあります


だから

「頑張って」じゃなく 「頑張ったね」 って


言った方が

きっと 「頑張れる」のかな って

思います





















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