最後に書いたのが9月、今日からもう6月、間が空き過ぎました。


インスタの方にはちょこちょこ備忘録としていろいろ書いてきたのですが、こちらでも長女の近況を少し。


長女は5歳になり、年長さんになりました。来年は小学生。


就学相談も始まりました。


就学相談前は普通級+支援級、ことばの教室への通級と考えていました。


いざいろいろとお話ししてみると、支援級は個別の学習支援ではなく、あくまでも情緒面でのサポート、課題にどう取り組むかを考える場所、と言われました。


私のイメージとは違いました。。


相談員さんからも支援級は不要では?と言われ、とりあえずは普通級+ことばの教室の方針となりました。


今月末に言葉の教室の面談や、保育園に相談員さんが見に来たりといろいろあります。


あとは発達検査の結果と総合して判断することになりました。


考えることは多々ありますが、考え過ぎても進まないかなと思い、肩の力を抜いて行こうと思います。


明日は装具診察の日。前回ボトックスの話も出たので、明日は具体的に決まるのかなと思っています。


装具だけで内反&尖足が良くなれば、と思っていましたが、やはり装具を使うのが遅過ぎたなと思っています。

もっと自分で調べて、療育センターから抜け出せばよかったと後悔中です。


過ぎたことだから仕方ないですが、主治医との信頼関係って本当に大切だなと思いました。




最近の長女。


自転車練習頑張っています。


訪問リハや児童発達支援など、同じ年代の子と比べたら日々スケジュールが忙しいと思います。


文句も言わず、よく頑張っていると思います。


正式にはまだ書類が届いていませんが、補償対象となりました。


なぜ書類がないのに結果を知ったかと言うと、事務局から電話があったからです。


7月に引っ越しをしたのですが、新住所を連絡していませんでした。


書類は郵便で届くだろうし、転送されるかな…なんて考えていたら電話がありました。


とりあえずは住所変更の手続きの書類が届き、それが受理されたら結果の書類が届くそうです。


電話で「送った書類が返ってきました。新しい住所を教えてください。補償対象となったので、手続きに関する書類を送ります」とあっさり言われました。


全くなんも考えずに知らない番号からの電話に出て、結果を知ることになりびっくりしました。


産科医療補償制度、主治医に最初に話をした時は「100%通らないと思います。歩けるか歩けないかが大きな基準なんですよ」と言われました。


それでも、「お母さんが後悔したくないということでしたら、出してみましょう」とのことで出しました。


申請にあたり、MRIや採血をしたりと長女にも辛い思いをさせたと思います。


補償対象にならなかったらならなかったで受け止めようと思っていましたが、5歳の誕生日までというリミットがあり、後から出せばよかったと思うよりは…と思い、申請することにしました。


長女がNICUにいたときに、主治医から産科医療補償制度のパンフレットを渡されていました。


あの時、長女はまだ見た目には何もない赤ちゃんで、「脳性麻痺」とは思えませんでした。


先生からパンフレットを渡され、「産科医療補償制度の対象になるかもしれない」と言われた時はショックしかありませんでした。


「脳性麻痺」という言葉が頭から離れなかった記憶があります。


だんだんと片麻痺があるのがわかり、長女も定義上は「脳性麻痺」なんだと受け入れることができました。



産科医療補償制度の申請をするにあたり、長女が生まれたときの記録を目の当たりにし、いろいろ思い出して辛くなることもありました。



産科医療補償制度の補償対象となったことで、分娩が長女の麻痺に影響を及ぼしたかもしれないと思うと、あの時違う産院を選んでいたら…と思ってしまいます。


必ずしもそうとは限らないようですが…。


実家から徒歩5分、昔からある産院で馴染みがあったので選んだ病院。


もしも違う病院を選んでいたら、健常に生まれていたのかと思ったり…。


長女は補償対象となりましたが、長女よりももっと重度の障害があっても対象にならない場合もあるのを知ると、なんだかいろいろと考えてしまいます。


我が家は長女のリハや通院など、負担ではないとは言えませんが、私が時短正社員で働くこともでき、そこまで経済的負担が大きい状況ではありません。


障害者手帳もわりとスムーズに取得でき、特別児童扶養手当なども受けています。



補償金は長女のために大切に使わせていただきますが、いろいろとモヤモヤしてしまう気持ちがあるのも事実なんです…。


長女は軽度の部類かもしれませんが、片麻痺があることでの生きづらさ、ジレンマはこれからも付き合わないといけないと思うので、胸を張って補償対象なんだとは思うのですが。。


ぐるぐると考えています。


原因分析の書類も今後届くと思うので、受け止めていきたいと思います。

読む専門でブログ書いてませんでした。


最近はInstagramの方にちょこちょこと記録がてら書いていました。


いろんなことがありました…この4ヶ月。。


最後に書いたのは4月。長女も装具は何とか履いて保育園に行っています。


装具をつけるようになって、だいぶ足首は柔らかくなったと思います。


踵ついてと言えば踵をつけるようになりましたが、反張膝はなかなか改善せず…。


装具を作ってよかったと思いますが、装具だけでは尖足を「治す」まではできないのかなぁとも思ってきています。


やはり装具は「予防」だったのかな…使うの遅すぎたんじゃないかな…と思う日々です。


長女、今年の2.3月はすごい荒れていて、イヤイヤ期の再来かと思えるほど酷かったです。


私のストレスも限界で、病みそうでした。


泣き方もパワフルで、場所も時間も関係なく荒れていて手のつけようがなくて大変でした。。


今思えばずっとしていた指しゃぶりをやめさせたのが原因だったのかと思います。プラス下の子に対するヤキモチ。


それも下の子が一緒に保育園に行くようになったらだいぶ落ち着き、その時みたいに泣き喚くことはなくなりました。


最近はわりと「お淑やか」女子です。


「ありがとう」と言ってくれるし「◯ちゃんが終わってからで良いよ」と待ってくれるようになりました。


自分が一番じゃないとだめなのは変わらないけど、だいぶ精神面も成長したなと感じます。



私は5月から仕事に復帰しました。そして、今月いっぱいで退職することにしました。


戻ってからの違和感がすごく大きくて…。


子育てしながら働くにはすごく楽な職場だと思うのですが、それだけなんです。


自分のやりたいことができているかと言われたら絶対に違う。


私が産休育休中に上司が変わったのですが、上司は利用者さんの名前を呼び捨てで呼びます。もちろんステーション内ですが…


些細なことなんですけど、それがすごく嫌でした。


長年、「自分の家族だったらどうか」と考えることがいつも心の中にあって、母の闘病中にタメ口で話をされるのも嫌でした…。よほど関係性が深いなら別ですが。。


父に訪問看護が来ていて、ステーション内で下の名前を呼び捨てで呼ばれていたら私は嫌です。


家族だったら別に良いですが(我が家は両親のことを名前で呼ぶ家だったので)。


そんなこんなで、毎日「はなこ(仮名)の訪問何時?」とか「たろうっていつ退院だっけ?」みたいな会話が飛び交う職場が嫌になってしまいました。


あとは上司が訪問看護を好きでないと公言しているのも耐えられず…。


ずっといたら病みそうだと思い、退職することにしました。


次の職場はそういうことは恐らく無いと思います。ガラッと雰囲気が変わるので頑張ります。




あとは新居に引っ越しました。元々階段のあるテラスハウスに住んでいたので、階段がある環境には慣れています。


今までとにかく狭くて生活しづらかったですが、広々とようやく生活しやすくなりました。



いろんなことがあった4ヶ月でした。


来月末には新しく装具を作り直しする予定でいます。またそのあたりに経過を書いていこうと思います。