全然面白くなかったパリ五輪のJUDO、一番の原因は主審の出す指導に統一性・一貫性がなかったことだ | 脱サイレントマジョリティー宣言;名指し提案型意見集

脱サイレントマジョリティー宣言;名指し提案型意見集

怒り、憤りを感じることがあまりにも多い、この世の中。我慢していては精神衛生上、甚だ良くない。
そこで、思うがままのホンネの意見を、ここに主張することにした。
わが青春時代の反骨精神よ蘇れ。
沈黙の子羊、サイレントマジョリティー状態からは、もう卒業だ!

パリ五輪のJUDOが終った。

その感想。

見ていて、全然面白くなかった。

 

なんとなれば、主審の出す「指導」に統一性、一貫性がなかったからだ。

それで煮え湯を飲まされた日本人選手も何人かいたような・・・。

 

黄色い「指導」札がテレビ画面に2枚表示されてしまうと、見ているほうの関心は、「指導」をもう1回くらわないよう、脚をもっと出せ!攻める姿勢を見せろ!ということだけになってしまい、いつ技をかけるのだろうか?逆転はあるのだろうか?という本来楽しむべきハラハラドキドキ感は失せてしまうのだ。

 

その「指導」が平等に下されればまだしも、見ていると審判によってマチマチ。

また、同じ審判であっても場面場面で出し方がバラバラに見えた。

 

あれじゃあ、ダメなのであります。

 

振り返れば、今のJUDO。

五輪の競技種目に加えてもらうため、妥協妥協の産物で、こんなルールになってしまった・・・というようなことを聞いた覚えがある。

 

さもありなん。

 

今回パリ五輪の試合内容を見て、本来の柔道精神を尊重した別団体を設立・・・という声も上がっているそうな・・・。

 

天人、諸手を挙げて賛成である。