今書いたよ、ムッシュービックリマーク


こんな感じだかんねにひひダウン




ご紹介にあずかりました新郎の10年来の友人、


さとると申します。


ちなみに46歳・独身・青年実業家です。



新郎とは桜町で知り合いました。


新郎は昭和43年9月1日、


午後2時に、○△□ご夫妻の間の


ご長男としてこの世に生まれました。


ちなみに「武士道」を書いた新渡戸稲造氏、


そして団鬼六氏と同じ誕生日であります。




そのときの玉のような王子様の姿を、


お母さまは今もまぶたに映るそうであります。



いまの、この立派なおひげを見れば、


お母さまの嘆きは皆さんもお分かりになるかと思います。



当時お父様は横浜にある、


あのホテルニューグランドのシェフとして


活躍なさっていました。



マッカーサー元帥が


宿泊していたホテルとして有名でありますが、


あのナポリタンを最初に作った


総料理長・入江茂忠さんのいらしたホテルでもあります。



さて、ご両親は自分の子供が授かった機会に


土浦にお店を設けました。



そこで新郎はすくすくと育ったのであります。



幼稚園、小学校、中学校、高校を優秀な成績で卒業し……


まぁこれは新郎本人の申告でありますがにひひ





ちなみに小学校から高校まで野球をしていました。


本人いわく、ベンチを守っていたそうであります。



高校1年のころ、


夜遅く帰宅するとお父様にフライパンを投げられたそうです。


それがショックだったのでしょう、


新郎は家出したとか……。


今では考えられないくらいナイーブだったのですね。


どうですか、お母さま。可愛かったですねラブラブ




そんな厳しいお父様に強制的に料理人になるよう言われ、


東京・虎ノ門のホテルオークラへ修行に出ました。



本当ですか、お父様。強制的っていうの?



オークラといえば日本で3本指に入るホテル、


そこでの修業は大変だったと思いますが、


その努力と腕、そして歌声が認められたのでしょうか、


在オランダ日本大使、在オーストラリア日本大使


専属シェフとして日本を離れました。




オランダやオーストラリアでは日本はもちろん


各国VIPがつどうレセプションの料理を、


チーフシェフとして立派に務めました。



ニューヨークにある国連大使のシェフも、


と勧められたのですが、それを辞して6年半ぶりに帰国。


お父様のお店を手伝うべく、ここ土浦に帰ってきたのであります。



このときの次期国連大使は


皇太子妃・雅子さまのお父様


小和田ひさし・現在早稲田大学名誉教授の後任でした。




さて、その後はみなさんご存じだと思います。



30歳で桜町デビュー。


幸か不幸か、この私ともあるバーで知り合ったのであります。



ここにいらっしゃっている方も桜町で知り合った方が多いと存じます。



最初はプロの歌手かと思いました。


彼がシェフとは思えないほど歌がうまかったからです。




さて、新郎が結婚を決意する前に


私は新郎新婦と3人で飲んだことがあります。


しかも、そこは有名なショーパブ


こともあろうか彼はステージに……。


このお店をご存知の方も多いのでこれ以上は申し上げませんが、


それを見て新婦が突然店から出て行ってしまったのです。


青くなって出て行った彼は、その日音信不通でした。


ひとり残された私は……。




私はこの日がXデーと確信しております。



こんな彼をやさしく受け止めていただいた新婦○△さん、


桜町の友人を代表してお礼を申し上げます。




世界を旅した隆君は、世界中の女性からであなたを選びました。




本人いわく「この人となら」と思ったそうです。



夢はお店のの海外進出とのこと。


フィリピン方面とロシア方面だけは、


私も反対いたしますので、どうか彼を支えてください。




これからもお二人、


仲良く手を取りあって、どうぞいつまでもお幸せに。


簡単でございますが、これをもちまして新郎の紹介と


私のお祝いの言葉に代えさせていただきます。




こんなんだけど、いいかなにひひ




あっ、7時からだね、パーティ。


急がなきゃあせる