なんだって、元々あった身体の一部が失くなる、変わるなんて苦痛は、想像を絶する。

堀ちえみさんの舌がんの件から、誰とは言わないけど私の身近な人の舌がん(同じくステージ4、切除時リンパ転移判明)について書こうと思いました。

がんは昔よりは治療出来る病気になったとは言えど、どこの部位であっても宣告された時のショックは計り知れません。
励ますにせよ

今では治る病気

と軽々しく言われたくないな。
最初の段階では寄り添うだけで十分。

何なら

神様がくださった試練

と堀さん本人がおっしゃっていましたが、それは自分の胸の中に閉まっておくべき言葉。
防衛機制の合理化であってその考えによって病と向かい合えるのかも知れないけど、既に切除した方からすれば、
試練とかふざけんな
です。

昨日まで流暢に話せていたのに、冗談を言い笑っていたのに、麻酔から覚めれば言葉が通じず。
術前のようにはいかない。
もう戻らない舌への喪失感と違和感。

堀さんは歌っていた方ですから、なおのこと辛いはずです。

私も会話時には一発で聞き取れるよう配慮しますが、難しいことが多く。
かと言って適当に返事を返すのは不誠実なので聞き直しますが、最初の頃はそれが辛かったです。

頑張って言い直す本人の辛い想いが想像に難しくなく。
だけど本当にごめんだけど、どうしてもわからない時もあって。
時々伝えることを諦めちゃうんだよね。
それは本人は当然のこと、こちらも悲しい。

でも筆談は嫌みたいなので、発音出来るよう結構頑張ったんじゃないかな。

弱音もはかず。
切除した舌の半分は太腿から形成していますから、脚も相当痛かったろうに、手術翌日に片足ケンケンという無茶をして。

ごはんも今まで通りにはいきません。
流動食から徐々に固形に。
ただ、固形までいってもやはり固すぎるものや逆に葉っぱみたいな中途半端な食感のものは一苦労。
初めの頃は麺もだめだったみたいで。
また、火傷をしやすい。

これらの「以前の通りにはいかない」ことから、食事には多くの時間を要します。

こういったことで時々そのもどかしさから人に当たってしまうこともあるんだけど、本人が辛いのはもちろんだけど、これも周りにいる人は辛い。


患者本人は自分しか見えなくなってしまうこともありそれはそれで仕方のないこと。
でも隣で支えている人だって、身体のみならず精神面でも疲れが出て来るので、そんなこと言わなくても!って思いが生まれてしまうはず。

回復期がもっとも大変なのではと思います。

きっと何でもっと早く…って悔しくなることが何度もあると思います。

父に昔「ミスはあると思って探すものだ」と言われたけど、がんの早期発見のためには医者にもそういう気持ちで診て欲しいなと思います。
がんに限らず
どうせ何もない
って気持ちで診ている人多い気がするので。
堀さんも小林麻央さんも検査や診察を受けていたんだから。

小林さんの時は、全くの他人だけど何だか自分の時間を分け与えられるシステムが人間にあればいいのにって強く思いました。

医療は正に日進月歩で、日々発展しています。がん治療もそうなのだけど、それでも長年死因のトップはがんであり、心疾患、脳血管疾患と続いています。

私が小学生の頃に亡くなった祖母の妹の旦那さんはがんで亡くなったのですが、今の技術でなら生きていらっしゃったんじゃないかなって思います。根拠はないけど。
穏やかで優しくて素敵な人だった。

幼稚園の頃1人で泊まりに行っておじさんにお風呂に入れてもらい、熱かったけどなんだか悪くて言えなくて、我慢して浸かっていたこと笑
お見舞いに行って、ミカンはここから剥くといいよって教えてくれたこと。
よく思い出します。

がんで父親を亡くした友人、母親を亡くした友人もいます。

誰もがなり得る可能性のある病気。
常に気にするわけにはいかないけど、少しの不調でも留意することが大切かなって思います。
にも拘わらず軽んじる医者に会ってしまうこともあるけどね。

私はなったら多分開けないかも。
怖いし闘う勇気もない意気地なしだから。
だけど身近な人が弱気になっていたら背中ぐいぐい押すね。
誰も失いたくないもん。

わがままかな笑

最後に驚いた話を。
舌がんを切除した身近な人は男性で、前述の通り太腿の肉を移植したのですが、舌として移植したところにも毛が生えてくるのです!
えっ!って思われるかも知れませんが…
でも生命力ってすごいなって感銘を受けました。

きっとたとえ心が弱って○にたがっている時でも、細胞は強く生きようとしているんだろうなって思います。