本日の名鉄電車
本日の写真です。
明日の夜から3連休は四国遍路へ出発することから、我家と家内の里のお墓掃除を済ませて、名古屋市中川区にある横井庄一さんのお墓掃除とお花を供えにも家内と妹とともに訪れましたが、後継者が不在となるお墓は何か寂しい雰囲気が否めません。
今年1月に朝日新聞社の取材を一緒に受けた元名古屋市博物館員のTさんは、生前の横井さんと親交があった数少ない存在になりましたが、取材中に「横井さんは子供が大好きだった」と話し、我家での会話から自分の血をひく子供を欲しがっていたことを実感させられました。
「時義、お前んとこは良いなぁ」
「何が良いと言いたいのぉ」
「孫が4人も居るから…」
「庄一ツァ、一人ぐらいもらっていっても…」
私の父親と横井さんの会話ですが、4人の子供が居る我家から養子に出すと言った父親に、「自分がもらわれていって辛い思いをしたことを小さな子供にさせられる筈がないじゃないの」と、私の父親に血相を変えて怒りだしました。昭和の終わり頃の会話です。
「お前も知らん訳じゃないだろぉ」と、我家で大鹿庄一として過ごした幼少期と、両親を失って苦労した父親たちの苦難の時代の話となりましたが、自分の子供が居ないことからポツリと漏らされた一言で、孫や家族に囲まれ苦難の幼少期を忘れて話す私の父親と、横井さんの戦後の生活環境の大きな違いを実感させられました。
横井さんの母親は、死んだと思っていた横井さんを供養するため、周りより大きな立派なお墓を菩提寺に残していきましたが、横井さんの血脈をひく血族が存在せず、春と秋のお彼岸と、お盆と正月に訪れる私たちが供えたお花を取り換えるだけの寂しい現実がここにあります。
立派なお墓が2つも存在しながら、私と家内が居なくなったらお墓に花を供える親族も皆無となりそうで、最近社会問題となっている墓じまいや無縁仏も他人事ではなく、これは我家とて他人事ではありません。
「母一人子一人」や「旧陸軍日本兵」について世間で語られる作り話の横井庄一像に対して、人間として心優しい半面で寡黙だった横井庄一像を元気なうちに書き記しておきたいと実感する微妙な年齢になってきました。
3月17日の一言