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豆まきが行われた弘盛寺 津島市越津町

星祭り祈祷と豆まきの後に福引も行われました。
 

夕暮れの横井庄一記念館と私の孫です

本日の写真です。          記念館でもマックのコーヒーです。          
 
 本日は午前9時から地元の小学校で開催される防災訓練の準備のため、朝7時30分に町内役員とともに集合しましたが、10時から町内のお寺で開催される節分会の「豆まき」に参加するため途中で退出したものの、お寺に到着した時には本堂は参加者で満杯になっていました。
 
 節分に豆まきはつきもので、各地で豆まきが行われますが、大きな境内でまかれる福豆やお菓子を拾うのが大半で、お寺の本堂で参加者一人ひとりの祈願をしてから、祈祷を受けた人が福豆を投げるのはありがたみがあり、本日はお昼まで繰り返し福豆がまかれました。
 
 そして豆まきだけでなくお昼の食事も用意されており、大人から子供までお寺で生活する習慣を体験できる機会は貴重で、本日は家内だけでなく娘の家族と孫も一緒に参加し、豆まきが終った後で孫とともに横井庄一記念館を訪れました。
 
 実は横井庄一さんの夫人の祈祷も依頼してあったため、福豆と御札を仏壇に届けるのも目的で、後から到着した娘夫婦とともに独り暮らしの横井家は久しぶりに賑やかとなり、独りで食べる夕食は寂しいという夫人とともに、孫と3人で料理屋へ食事に訪れました。
 
 更に津島市に居る三男の孫に会いたいと言う娘の孫とともに、2人で三男の家を訪れ、自宅の家内も誘って娘の住む名古屋市港区まで孫を送っていきました。
 「今度は2人だけで冒険に行こう」と言って孫と別れましたが、孫は小学校4年生になっており、昨年8月には2人だけで上高地から名古屋市まで戻っており、私と2人だけで目的地へ走って行くことも可能になってきたと実感する一日ともなりました。
 
                                     2月2日の一言
追伸
 昭和47年1月にグアム島で発見された横井庄一さんが、日本に帰国したのがこの年の2月2日でした。