日頃、標準語を使っている人たちにとっては、特に意識することはないだろうが、方言を日常語としている地方の人にとっては、標準語で話す時は少し構えてしまう。

 

私は両刀使いのようなもので、バイリンガルであるが、今の若い人たちはほとんど標準語で話す。いずれ方言は消える運命にあるのかも知れない。

 

地方文化でもある方言が消えるのは残念な事であるが、昭和40年代の初めごろからまでは、方言は悪い言葉であり標準語を使用するように学校教育が行われていたのである。実際に秋田県の南部の小学校では直接に校長が先頭になって標準語の指導を行っていたようだ。子どもたちが都会に就職した際に困らないようにとの親心からである。

 

そのような方言ではあるが、戦時中には秋田出身の戦地の兵士に対する戦意高揚の手段として利用された過去があるのである。

 

戦地への慰問袋の中には秋田弁での励ましの言葉で語られた録音盤(レコード)入れられている。戦地の兵士たちは録音盤を聴くたびに郷里の母を思い出し自らを奮い立たせたのだろう。(2024.2.2付秋田魁新報記事より)

 

79年前の3月10日は米軍による東京大空襲が行われた日である。10万人を超える人命が奪われたというが、この国は死者の数も名前も調べていないし、遺族に対して何の補償も行っていない。

 

ましてや土足で踏み込んで大きな被害を与えたアジアの国々の人たちに対しての直接的な補償も行っていない。これではいつまでも真の友好関係は結べない。この国の行く末には大きな不安を感じる。