ももクロを理解したつもりでいたのがとんだ驕り、自惚れ、思い上がりでした…。
今回の東京ドームを経て、彼女たちへの理解が一段階進んだように思います。
皆さんは好きなアーティストを特別だと思っているでしょうか?
誰しも、好きなアーティストにはずっと人気でいてほしいし、エンターテイメントを提供し続けてほしいし、出来ればいい人であってほしい。
それらは当然の感覚ですが、私はあくまで信者ではなく、出来ればフラットな感覚で、期待のないままに、ももクロを見ていたいと思っているのです。そしてももクロは、そんな期待を持たない私を振り向かせてくれる時が多々あります。
とある芸人が、ももクロは「人柄の良さ」が長所であるとももクロを語りました。私はその言葉が気に入り、ももクロの良さを語り、理解するにあたって人柄の良さを受け入れ、信頼し、ファンを続けてきました。
しかし、「人柄の良さ」という言葉はあまりに多くを包括しています。それに、ファン以外がそれを聞いても、「それはファンだからそう見えるし、アイドルだから良い部分だけ見せてるんじゃないの」というごもっともな意見で一蹴されてしまうでしょう。
実際その通りではあります。「24ustやバックステージなど、素を沢山見せている」と反論したいところではありますが、まあそれはあくまでカメラが向いている範囲内での出来事ですし、身内の証言も彼女たちを褒めるに決まっているし、「人柄の良さ」をいくら説いても、ファン以外が納得するのは無理でしょう。なぜなら、それで騙されてきたアイドルファンたちが星の数ほどいるからです。
裏で当人たちにバカにされてるのを知らず、「○○はいい子だ!まじめで純粋だ!」と主張する滑稽なアイドルオタクたち。皆さんそうはなりたくないと思っているのでしょうが、ちょっとしたシーンや、裏側と称したドキュメンタリーで真剣にレッスンなどしている様子を見てまんまと信じてしまうのです。
なぜなら、そうして人間を売っていくのが芸能界だから。それがプロデュースというものだからです。信用した相手に対して、当然財布の紐はゆるくなります。それが狙いなのです。誰が、贅沢な遊びをして酒池肉林の欲望に塗れている生活をしている人間に、「ようし、お金を払って投資しよう!」なんて思うでしょうか。
ものを売るには、誠実さというのが必要なのです。悪いことをしているわけではなく、商売の定石を踏んでいるだけのことです。もちろん、売り出し方やキャラクターによって誠実さのみがピックアップされるわけではありませんが、まあアイドルは大体こんな感じでしょう。
事務所も嘘をつきたくてついているわけではない。良いものがあるなら、そのまま出すのが一番楽だからです。しかし人というのは、特に芸能人になりたいなんてタイプは、考え方が俗物的で、自己顕示欲が強く、自己中心的で自分のルックスなどに自信や驕りがあり、楽して稼ごうと思っているきらいがあり、正直言ってろくなもんじゃない。友人にしたくないタイプの方が圧倒的に多いでしょう。最近は素人まで芸能人ぶってユーチューバーだのインスタグラマーなどを自称するのですから、世の中休まる暇がありませんね。
人間というものは残念ながら主観でしかものを語ることが出来ません。透明人間にさえなれれば、向こう一年監視して、その人間の本性も暴くことが出来ようものですが、あくまで与えられた瞬間瞬間を切り取って、その人柄を判断するしかないのです。それは芸能人だけでなく、人間関係全てが同じです。好意があればバイアスがかかり、神格化したりしちゃいます。その辺を自覚したうえで、ももクロを分析したいと思うのです。
なぜももクロは「人柄が良い」と感じるのかですが、私が見る限り、百田夏菜子と言う人間に我執が無いからだと思います。自分を特別な存在だと思っていない。疑った目で見ても、それが感じられるものが出てこない、利他的な人間なのです。他人を楽しませる、喜ばせることで自分が楽しい、という生来アイドルにはデフォルトで備わっているべきはずの特徴(普通は絶対に備わっていない)を持っているとしか思えないのです。または、無意識にでもそれを理解し、実行するインテリジェンスが彼女にはあります。
我執のなさから、痛いくらいに、他人の感情を読み取れ、優先できる。センターに立ちたくない、ベアダーを着たくない(特別扱いをされたくない)とぐずったり、生まれ変わったら植物になりたいと言ってみたり。普通、生まれ変わったらまた人間に生まれて、今度はもっとうまく、自分の理想に合うような生き方を…と願う人が多いのではないでしょうか。
「アイドルをやってみろ」と言われて、じゃあどうしようか、となった時に、普通はかわいこぶったり、自分のルックスを生かそうとしたり、真ん中で目立って踊ってみたい!と考えたり、他の女の子がやらない変わったことを!と言うのが凡百な人間の考えですよね。百田さんには最初からそういう気が無いように思える。「自分に執着せず、利他的な行動をとるのがアイドルだ」と中学生のころから気が付いて実行し続けているとするなら、それもまた一種の天才でしょう。私は天然でやっていると思いますが。
だからか、ももクロのライブには、彼女が中心でありながら、自分が主人公だ、という嫌らしい主張は感じないのです。他のメンバーからバンドに至るまで、とても居心地が良いように思います。
彼女が一般人の立場なら、ただの責任感のあるいい子で終わったかもしれない。しかし、彼女が芸能界で、しかもアイドルとして一定の成功者としての立場にあることが、極めて稀なケースなのだと思うのです。
この世の成功者の多くは、他者を押しのけることが上手で、パフォーマンスによって実力以上に自身を大きく見せるのが非常に上手いです。しかし世間一般は、結果しか見ないものなので、拍手をし、それらの成功者を受け入れます。過程なんて、見ようがないので、仕方がないでしょう。
しかし、非リアルのエンターテイメントとなるとどうでしょう。みんな、縁の下の力持ちばかりじゃありませんか?アルマゲドンの主人公のブルースウィルスは自己犠牲を払って人々を生還させ地球を救います。スパイダーマンは正体を晒さないまま人々を救い、ネロはルーヴェンスの絵を見るだけで、評価を受けないまま人に誤解され死んでいきます。塩狩峠の主人公や、グラン・トリノのクリントイーストウッドも、ライフイズビューティフルの父親も、と枚挙に暇がありません。
出来れば、そんな人がいたらいいのに。エンターテイメントの主役たちは、そういった現実世界のフラストレーションを受け止めるべく存在しているのかもしれません。
百田さんは、この世の成功者の中では、そんな漫画や映画の理想の主人公にもっとも近しい人間なのではないかと思います。誠実で、出すぎず、かつ卑屈ではなく、人を楽しませるためなら自分が泥を被っても良い。まるで宮沢賢治の詩のようです。自分に執着している人間には、それが出来ないでしょう。言動の根底に我執がある人間からはそもそも発想すらできないことの数々を、彼女は積み重ねてきたように思います。彼女の歴史のどのページを開いても、それを感じられることが容易に想像できるほどに。
誤解して頂きたくないのが、自己主張が悪だというのではないのです。むしろ世の中、他人のエゴで回っているともいえるでしょう。しかし、私は休日にまで他人の自己執着心を金を払ってまで見たくないなあと思うのです。あくまでただの私の趣味嗜好です。
ももクロと言いつつ百田さんの話ばかりになってしまいました。なぜなら、百田さんの影響を受けてる部分が、残りの三人には強く感じられるからです。正確には、れにちゃんはちょっと違うと思うのですが。
普通、5人集めたらみんな性格はまちまちです。ももクロがいい子ばっかり奇跡的に揃った人間だ、というのはファンの欲目でしょう。玉井さん、佐々木さんは恐らくどっちにも転んだはずです。それは、彼女たちがインタビューで実際に発言しています。すべてでは無いかもしれませんが、百田さんをリーダーとして持った時に、彼女の尊さ、自己主張をしない中で人を楽しませるという爽やかさを彼女たちは学んだのかもしれません。しかしそれを学び取り、実行できることも、普通の人間にはできないことでしょう。
れにちゃんは生来あんまり邪気が無さそうですね。彼女の中で自分性格悪いなあと思っている部分があっても、大したこと無さそうなイメージです。親も特殊だから俗っぽくないのかな。
私は実は有安さんの緑をよくつけてライブに行ってました。緑が個人的に一番身に着けやすかったのと、いじられ役としての彼女を見てよく笑わせてもらっていたからです。後出しじゃんけんにはなりますが、彼女がももクロで唯一自己への執着心が強いことには気が付いていました。彼女は百田さんをどう評価していたのでしょう。ただのおもろい姉ちゃん位にしか思っていなかったとするなら残念です。彼女は色々と考え方が違ったのだと思います。面白いと感じるツボもちょっと違う中で活動するのは、きっと辛いことだったのでしょう。彼女は、ももクロのことを特別な存在だとは思っていなかった、もしくは思わなくなっっていったのだと思います。なんだかよくわからないけど持ち上げられて、売れて、なんでこんなにももクロが評価されているの?と逆に面白くない感情があったのではないでしょうか。
彼女はラジオでももクロの曲を「ワッショイ曲」と発言していました。彼女にとっては、子供っぽく、ただただ楽しいだけの安易な曲、という気持ちがあったのかもしれません。私は逆に、雰囲気だけのしっとりバラードを安易な曲だと思うので、まあ趣味の問題ですね。
普通の芸能人っぽい彼女がももクロにいるというミスマッチを面白いと思っていた私には残念でしたが、彼女は自身の人生をももクロに費やすことを受忍できる限度に達してしまったのでしょう。多くのももクロには興味を示さないタイプの方々の思考を彼女は持っていたと思います。「ばかばかしそう、子供っぽい、うるさいだけ、恥ずかしい」とかね。彼女がももクロにいなければ、彼女はももクロには恐らく興味を示さなかったはずです。
百田さんは有安さんを引き止めなかったので、そんな彼女をきっと理解していたのでしょうね。
そして、自分より他人を尊重してしまう人にこそ、自分を大切にしてほしいと思うのが人情です。自分のことを大事にする人間は、勝手に生きていきますから。
結局は信者の意見っぽくなってしまいましたが、普通の分析すら百田さんという人間は信者っぽいものに見えさせてしまうほどの魅力があると思います。結局、他人のことはわかりません。大体が、他人のことをあれこれ詮索しようだなんておこがましいことです。しかし、ももクロに対しての結びとして、「わけのわからなさの美学」、はその通りですが、私は「中心人物が自らに執着せず中庸を取る知見を持った場合において、それに理解を持てる周囲のサポートとしての好循環の発生、かつそれが俗的なメディアの場で起きている希少な状況」というものがももクロの魅力の一部なのではないかと主張したいです。