出会い | バーブのブログ

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彼女は緑を基調とした、マドラスチェック柄のブラウスを着て、ウエーブのかかったロングヘアーで目のぱっちりした美人。
昔の同業で女友達の金子が私の店に連れて来た女性。
てきぱきとした気っ風の良さそうな印象を受けた。
気っ風の良いと言えば、ちょっと江戸っ子?まったりとした関西人ではない切れ味の良い女性だと思った。
それが始めてさゆりと出逢った時の印象である。5年前の11月上旬の事だったと記憶している。
その時、いい感じやなあ、年齢は分からないけど落ち着いた感じで、かなり私には良い印象をうけました。

実を言うと、その頃私は、真剣に人生最後の伴侶を求めて、いろいろな女性を真面目な気持ちで見ていたのです。
妻が亡くなってからは、子供も思春期真ただ中。難しい年頃の中2の長男と小6の長女。
長年連れ添った妻の居なく成った我が家に、子供達もそうであったと思うが、赤の他人が入って来る事は考えられない状況でした。そんな事で再婚は一切考えてはいなかったのです。
妻が亡くなって13年。そろそろ私も60歳まであと3年。60歳を過ぎたら再婚は難しいかもと真剣な再婚相手を捜していたのです。
彼女と出会う少し前、感じのいい女性に出逢っていました。
この女性は、昔の同業の奥さんの友人で、店に一緒に来て頂いて、それからその女性は時々お友達と何回か来て頂きました。彼女は人形師。始めはまあ主婦の手慰み程度かと思っていたら、トンでもない。ある有名雑誌でグランプリを取った程の腕前。作品集を見せてもらうと、圧倒される程の作品。
その女性は、若くは無いのですが目元のはっきりした私好みの女性。
それまでの私は、若い女性とのお付き合いもいろいろ有りましたが、歳を重ねる内に人生後どれくらい生きられるか、と考えると同世代の人と同じ様に老いて行く。これが自然なのではないか、それに歳の差があり過ぎると、やっぱりこっちが気を使うし甘えられて私がいつも強く居なくては行けないし、何処かで気を使っている。
将来自分が老いぼれて、相手はぴちぴちしていたのでは、老いぼれに付き合わすのはどうか、そんな考えもあって、残りの人生を共にするなら、なるだけ同じ時間のスピードで暮らして行ける、同世代が良い。話も合うしそう思い始めた頃、その人形師と出逢っのです。
私には伴侶になる女性への条件がありました。
長年生きて来て、色々な恋愛もして来て、恋愛と言うより人生の友人、恋だ愛だは冷め易い。
長い人生を淡々と生きて行ける相手棚で無いと、と思っていました。
それには、共通する話題が持てる事、それは共通する趣味のある事が一番の条件。
そしてもっと大きな条件は、やっている商いを一緒にやってくれる人。
儲からなくても良いから、日々一緒に作業をしてささやかな稼ぎの中から、少し蓄えが出来たら二人で遊びに行く。一緒に呑みにも行きたいので、酒が呑める女性。
そば屋を始める前は陶芸家を目指し、その前にやっていた商売から陶芸の修業にはいりました。
当時はバブルがはじけて間もない頃で、手作り市や陶器市近所の朝市、様々な所の催しに参加して、西は山口県、東は名古屋と寅さん生活をしていました。
私の目算は、バブル崩壊後十年もすれば景気も回復して、陶器ももっと売れるだろう。
その頃には自分も陶芸の腕もアッガって、陶芸家として生きて行けるのではないかと思っていました。
アトリエは岡山にあって、これは、妻が存命の頃ちょうどバブル最長点の頃、私はその頃のバブル情勢は異常だと思っていました。こんな事がいつまでも続くはずが無い、金の価値もどんどん下がって、デノミ政策も必至と言う状況でした。それとも何らかな形で経済的におかしな事になる。そんな予感もあって、岡山に経済シェルターと言う形で古家を購入していました。
それ以前に祖父からもらった岡山の山の上のてっぺんに9000坪の土地を所有していたので、そこにフィンランド産のログハウスを建てる計画で、床面積45坪30センチの丸太で造る本格ログハウスが1900万円。円高もあってそんな値段で建ったのです。見積もりもしてもらいその山のてっぺんにログハウスを建てる事にしたのです。ところが何回かその場所に通ううちに、その土地の人間性に馴染めない事が判明したのです。先ずその一つが、その場所には、昔祖父が住んで居た古い家が有って、そこに時々通っていたのですが、朝目覚めると、異常に臭い目覚めで、耐えられない程の異臭、これは人糞のあの臭気に包まれていたのです。飛んで外に出てみると、隣の酪農家が我々の目と鼻の先で、牧草畑にバキュームを横付けにして人糞を撒き散らしていたのです。信じられない光景と臭気でした。
まさに有機栽培、安全な牛乳を採取する為の酪農家の思いなのでしょうが、周りはたまった物ではありません。目が飛び出る程ビックリしました。周りの住民はなれているのかのどかな農園風景になんの騒動もありません。パニクって居るのは私だけ?。これでは人は呼べないし、そこでの暮らしをいろいろ想像して具体的に考えて居ただけに、これは臭気公害やと役所に電話しました。が、そんな事をする酪農家では無いですよ、と話のらちが明かず話はうやむやに終わったのです。
それからもう一つ、この村が好きでなく成った決定的出来事がありました。
それは、