紫式部と宣孝の婚前交流と結婚生活と別れ ① | よどの流れ者のブログ

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『源氏物語』『紫式部日記』『紫式部集』の著作者 紫式部について考えたことを書きます。 田川寿美のファンです。

人が誰かを好きになるのは自然なことで、他人がとやかく言うことでないのは確かなことです。しかし、年齢差とか職業とか結婚歴とかその他の要因で本人のために一言言っておかなければという局面がしばしば起こってしまうのが浮世の常かも知れません。好きになる動機も人それぞれですが、紫式部は二十五歳くらい年長で、妻子があり、通う女が何人もいたとされる藤原宣孝に惚れたようです。

 

10月10日付けのブログで書きましたが、十代後半の紫式部が男に文を贈っています。好感を抱いたからこその行為だったように思われます。彼女が二十歳を過ぎた頃に父親が越前の国司に任ぜられて、その任地へ彼女は同行しています。その地にいる間に、宣孝と文のやりとりをする婚前の交流があったことは『紫式部集』で明らかです。もしかしたら、十代後半から交流は続いていたのかも知れません。私の推測では、父親の藤原為時はそうした二人の仲を裂こうとして嫌がる式部を越前に連れて行ったように思われます。為時は花山天皇に共に仕えた宣孝とは同じ年頃で、近い縁戚でもあるので親しくしていたと思われますが、実の母親を幼い頃に亡くした紫式部を手塩にかけて育てていただけに、二人の結婚はさすがに歓迎できるものでなかったのでしょう。

 

 

詞書=近江の海にて、三尾が崎といふ所に、網引くを見て

 

三尾の海に 網引く民の てまもなく 立ち居につけて 都恋しも

 

この歌は紫式部一行が越前への下向時に琵琶湖を舟で行ったときのものです。この「立ち居につけて」に、越前などへ行きたくないという彼女の気持が強く表れています。(新潮社『新潮日本古典集成=紫式部日記・紫式部集』に掲載されている陽明文庫蔵本を底本に校定されたものを引用、以前引用するとした実践女子大学本ではありません。以降はこちらを引用します) 越前で暮らしていても、降り積んだ雪を山のように掻き上げた家人が彼女に近くまで出てきて雪山をご覧なさいと言うのに

 

ふるさとに かへるの山の それならば 心やゆくと 雪もみてまし

 

かへる山というのは今も福井県南越前町にあります。都へ帰ることばかりを考えている式部にとって雪国の生活は楽しめなかったようです。

 

 

家集ではその次から4首連続で宣孝への歌が続いています。いずれも浮気な宣孝を責める内容です。その内の1首は

 

詞書=近江の守の女懸想すと聞く人の、「ふた心なし」と、つねにいひわたりければ、うる

さがりて

 

みづうみの 友よぶ千鳥 ことならば 八十の湊に 声絶えなせそ

 

「ふた心なし」と紫式部に始終言い訳してくるのがうるさいので、宣孝に琵琶湖中の湊の女

に言い寄れば、と突き放す歌を返しています。このときはまだ越前にいたようですが、この

4首に対して宣孝が式部にあてた歌は家集には採られていません。その前の歌の題詞には

宣孝が紫式部の居る越前に行って、「唐人見に行かむ」との文を贈っていたことが記されて

います。当時唐人が七十余人若狭国に漂着し、越前国に移されていて国司の為時が対応して

いた記録が残っています。宣孝の好奇心の強さが垣間見られるところです。

 

 

『紫式部日記』に宣孝亡き後、宮仕えしていた紫式部が実家に帰っていたときの記述に、「書

ども、わざと置き重ねし人もはべらずなりにしのち、手ふるる人もことになし」とあります。

「置き重ねし人」とは宣孝のことで、彼が式部の家を訪れたときに漢籍を読んでいたことが

わかります。日記には「それらを、つれづれせめてあまりぬるとき、一つ二つ引き出でて見

はべるを・・・」と、式部がそれらの書を手にとって読んだとの記述が続きます。生前の宣

孝と式部が漢籍をめぐって意見を交わしていたことがうかがわれます。堅物の父為時より

枠にとらわれない宣孝の漢籍解釈の方にひかれたのかも知れません。漢籍をよくしたと思

われる宣孝が唐人に会って話をしてみたいと思ったのは自然の成り行きでしょう。

 

為時は宣孝が「唐人見に」来ることを許さなかったのでしょう。すでに婚期を逸していた式

部を越前に連れて行けばますます遠のくのに、なんとしても二人の勝手にさせない意志が

為時にあったように思います。史料が少ないので確かなことはわかりませんが、式部が越前

にいてなお宣孝と文のやりとりを頻繁にしているのを知って、これではいけないと父親と

して越前に来るのを許すわけにいかなかったのだと、そのように思えて仕方ありません。

 

通う女が何人もいるのに、新たに近江にいる女にも言い寄っている。そのような男とわかっていても紫式部は宣孝と結婚します。よほど魅力的だったのでしょう。『源氏物語』に登場する男たちは妻が居るのにもかかわらず次から次へと新しい女に懸想します。そういう時代だったからでしょうか、家集では4首のあとに、喧嘩している二人の歌が数首続くのですが、いつの間にか気心が通じ合った二人の歌が並べられています。