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市立図書館で図書交換会での交換本の紹介の2冊目である。

今回は日本のゴルフの草分けである宮本留吉氏の著作「ゴルフ一筋」である。

この本は1986年2月第1版第1刷発行と裏にあったので貴重な本かな。

宮本さんは神戸の六甲山の麓の床屋の10人兄弟の6番目に生まれた。

父が床屋だけでは食べていけなくて母親がやっていた駄菓子屋の手伝いをしていた。

日本で始めての誕生した神戸ゴルフ倶楽部で6歳からキャディーをしていた。

当時のゴルフプレーヤーは外人と大会社の社長や華族ぐらいでかごに乗ってゴルフ場に来たそうだ。

ボールは輸入品しか無く高価で簡単には入手できない貴重品なのでロストになると見つかるまで探させら

れたので下手な人が来ると子供キャディーに嫌われたらしい。

小学生仲間と使い古してどうにもならなくなって貰ったボールを山から切ってきた木の枝で作ったクラブ

で打って遊んだりもしたとのことで、今の自分たちの環境を考えると大変な時代だとわかる。

ボールが無くなると手ごろな大きさの石を探して代わりにしたそうだ。

家が貧乏なので小学生のころから天秤棒を担いで商品を運んだり荒地を開墾する株起こしを手伝ったり、

19歳の頃には家を飛び出して馬を使って荷物を運ぶ仕事などをして力仕事は任せておけという状態だっ

たらしい。

身体は160cm位だそうだがその力仕事が外人とプレーしても飛距離で負けない体力を付けたのだろ

う。後に誘われて六甲の別荘地の別荘番の仕事をした。

その時代に別荘の主人が来た時のキャディーやたまに打たせて貰ったのが縁で茨木カントリー倶楽部のプ

ロに誘われた。日本で3人目のプロだそうである。

その頃はゴルフ場のメンバーの方達が「この男をプロにする」と認めてくれるとプロになれたという。

彼はその後茨木カントリーを訪れたアメリカ帰りの赤星兄弟などのスイングに衝撃を受けて研鑽を重ね

た。

大正15年に茨木カントリーでプロ6人による第一回「日本プロゴルフ選手権」が開催されそこで優勝し

た。

ハワイにも遠征しジーンサラゼン、トミーアーマー等とも戦っている。

日本に来たウオルターヘーゲンのショットに惚れ込みその技を徹底的に練習した。

彼が盗んだのはインパクトの時に左手の角度をほとんど変えない所だという。

この本は技術書では無いので殆どショットについては書いてはないが本のその付近に一部書いてあったの

で抜粋します。

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「私はスイングではクラブのフェースの向きを特に重視している。

フェースがヘッドの動く方向を向いていれば正確なショットが生まれるわけで、ヘーゲンのスィングはま

さにそれをめざしたものである。

インパクトでは「左脇を締めろ」とか「手首を返せ」という教え方をする人もいる。

しかし、私はそういう複雑な打ち方は習得するのに時間がかかるし、若いうちはいいが、年をとってくる

と若い時のような手の使い方が出来なくなるのではないかと思う。

特にアイアンでは、フィニッシュまでフェースの向きをスクェアに保った方がいい。

フィニッシュの形からそのままヘッドをアドレスの位置まで戻してみると、殆どの人のフェースが飛球線

のずっと左を向いている。

それだけ手首を返しているわけだが、私はフィニッシュを低くフェースをスクェアにしているのでアドレ

スの位置に戻してみてもフェースは飛球線に正対している。」

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昭和6年ごろから宮本さんはアメリカやイギリスに遠征している。

そこで数々のトーナメントに出場しボビージョーンズ、トミーアーマー、ウオルターヘーゲン、ジーンサ

ラゼン等の超一流選手と腕を競い大変な収穫を得たと述べている。

ジョーンズとのエキジビションマッチの一番ホールで4人でのベストボールの試合中に一番ホールで宮本

さんのドライバーが260ヤードほど飛んでジョーンズの真横に止まったらジョーンズが「やるな」とい

う感じで宮本さんの左腕をつかみ「賭けようか」と言って来て5ドルを賭けることになった。

最初は負けていたが12番で追いつき15番のチップインで1アップとし、18番で2アップになりジョ

ーンズに勝利してサイン入りの5ドル札をゲットした。

それが現在JGAミュージアムに飾られているそうである。

その後宮本氏はイギリスに渡ったが、そこで後の総理大臣のなった吉田 茂(当時日本大使館勤務)の

要請で英国皇太子、プリンスオブウェールズとプレーした。

その後日本人として初めて全英オープン、全米オープン、カナダオープンに出場した。

アメリカでは「オーガスタ・ナショナル・オープン」という大会に出場したそうだが「マスターズ」はこ

の2年後に始まったそうなので宮本さんは本当にゴルフの歴史のような方である。

あと面白い記事があったので載せる。

「シカゴでのマッチでサラゼンの練習風景である。サラゼンがドライバーでビュンビュン打つと、はるか

遠くに立っている黒人のキャディーがそのボールを素手でキャッチするのである。

見物人はやんやの喝采だ。この練習自体がひとつのショウになっていた。

ドライバーで打つボールを素手でつかむのは妙技だったが、それ以上に驚いたのはサラゼンのショットで

ある。

キャディーは1歩か、せいぜい2歩しか動かずにボールを取るのである。

その正確さはまさに感嘆すべきものであった。」 

そういえば宮本氏の孫弟子にあたる杉原輝雄プロのスプーンの練習を見ていた方が杉原は相当数のボール

を打っても殆ど4畳半ほどの広さにボールが集まっていたのに驚いたという話があった。

トッププロのショットというものはそんなものなのかも知れない。

長い紹介になってしまったが日本のゴルフの草分けの方を知るのも我々ゴルファーのうんちくの一助にな

ればと思い皆様の少しでも参考になればと思い書かせて頂きました。