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tooth and dialog

苦手なものから好きなものまで。どうでもいいんだけど,自分の感じたことの一部を公開中ヽ(*'0'*)ツ

Concerning of everything; friend(relationship), love, life style(money, travelling).
People, at least me, can't do what you don't want to do, even if you care about others and do something for them.
And I can't build excellent relationship like close friends with everybody . Maybe in those cases honestly I don't like the person so much or the person don't prefer me or therere sometimes no reasons, we don't know why, but something doesn't go well between us. It's worse when either of us dislike the other. It is true that we can't love everybody and sometimes meet people we hate. Then, no way, just take as long distance as both of us feel comfortable and have a good relationship.

Another thing, I occasionally meet things which you want but don't have plenty of time or money. For example, I used to have 3 appointments a day with my friends, member of voluntary work etc. I couldn't sometimes keep all appointments and thought I could have done but couldn't do because I had been lazy. And more, I tried to go as many countries in europe as possible during the studing abroad. but, actually no.

In my opinion, I could and can NOT do those, not because I'm lazy or so. Because I don't have enough ability or “qualification” to do that. The most important thing is that what we can get is limited more than we think. Sometimes can't have relationship well, can't do what we should do and cant get what we want. Nobody's fault.
It means “NOT NOW”, I suppose. We may be able to do those in the future. We may be able to be more friend with people you don't have good impression now and go around the world 20 years time.
I realize the limitation and the fact that the limitation could be changing. I don't need to regret and have responsibility what I can't do just “now”

Im afraid today's english is horrible.






昔わたしは「諦める=悪」だとおもっていた
嫌いな人がいた時、仲良くなることを「諦めて」避けたり、距離を置くことは「悪」だと思っていて
本当は頑張ればなかよくなれるのに、諦めるのは
唯自分がそうしたいから、自分が楽をしたいからだと思っていた

でも最近は「頑張れば結果が出る」って言う考え方は、寧ろ甘いんだなあと思う




例えば
去年までは本当に忙しい毎日を過ごしていて
トリプルブッキングなんて普通だった
ボランティアの打ち合わせを午前中にして、3限の授業に出て、バイトとか
夕方までは友達と遊んで夜はサークルの飲み会とか
断りにくい予定とかもあった
前お世話になった方にご挨拶に行くとか、その方のお手伝いをするとか
時には断りにくい時だってある
相手を思って組んだ予定だったりもする
本当に忙しかった
でも、それは「出来るようにならなければいけないこと」だと思っていた
だって、時間はあったから
移動時間を考えればできないことじゃないし
時間があるということは実行できることで
それができない自分は、ただの「怠け者」だと思っていた

確かに怠け者だったのかもしれない
実際朝起きれなくて、一日3つあった約束全てに遅刻したり(前の予定が前倒しになったから)
時にはドタキャンというか
行ったけど全てが遅すぎて参加できないこともあった
楽しみたいと思って決めた友達と遊ぶ日も
バイトとかと変わらない「こなさなきゃいけないタスク」になっている時さえあった
スケジュール帳は真っ黒だった
予定がたくさんありすぎて次の日何をするのか、何時に起きなきゃいけないのかはスケジュール帳がないとわからなかった
記憶力が最低限に低下していた

きっと私なんかよりよっぽど忙しい人はいるだろう
私と同じ状況でもちゃんと全て「こなす」人はいるだろう
でも、「私には、できないこと」なんだろう
それは私が怠けてるからとかそういうことじゃなくて
単純に、私のそれだけのことをこなす「能力」や「資格」がないんだろう




例えば
どういても仲良くなれない人がいる
「どうしても仲良くなれない」っていうのは、「どうしても好きになれないしいい関係が築けない」人かもしれないし、好きだけど何を考えているかわからないから「もっと仲良くなってその人の特別な関係になりたい」人かもしれない
いずれにしても、気持ち通りに関係は築けない
それは相手か自分がお互いのことを正直信用できなかったり好きじゃないからかも知れないし、でも最も多いパターンは、理由はないのかもしれない

前述して通り、私はそういう場合は諦めてはいけないと思っていた、時にもっと仲良くなりたい場合は。
ご飯に何回も誘ったり自分の悩みを打ち明けてみたりしてみた
それでも、どうしてもうまくいかない時はある
でもここで諦めたら相手を見捨てるのと同じだ、と思うことさえあった

だけれど、そういうことじゃないのかもしれない。
想いを直球に投げ続けてもみんながキャッチしてくれるわけじゃない
上手く相手の手元に届くわけでもない
逆に、違う方向を見て進んだほうがお互い楽なときもある

方法が大事なわけじゃない
その人に近づく方法は1つじゃない
きっと距離おいたほうがその人のことが見えるかもしれないし
距離をおいて築ける特別な人間関係もあるんだろう



例えば
イギリスに旅行に来たからには近いんだからヨーロッパ中を旅したほうがいいんだろうと思っていた
イギリス国内を旅行するならイギリスでしかできないことは全てやるべきだと思っていた

実際はそんな時間をお金の余裕はない
行きたい場所もいくつか行けていない
後悔しているといえば少し嘘。

でも時間もお金もないなら
たとえ、「親のお金を借りたら出来ること」だとしても
「やってはいけないこと」なんだろう
それをやる資格は今の私にはないからだ



適度な距離間というものがある
それはきっと人と人の間にも、人と物事の間にもある
その距離はつまるところ、「それ以上は今は進めない距離」でもある
お互いか一方が辛くなるからだ

他の人ができることでも自分の「こなせない」ことはある
医師免許がないのに医師だと称して病院に勤めてはいけないのと同じように
もの事をやり切る能力も資格もないのに、「やる」って言ってはいけないんだろう
たとえそれが他人を思いやったことでもね。
それは無責任てことなんだと思う。
もしくは、実は内心「行きたくないなあ・・・」って思ってることは、いくら「やらなきゃいけないこと」や「行かなきゃいけない約束」でも体が動かないから実行できない
それは「今の」自分の身の丈以上のことをしてるってことなんだろう

人と距離があるという事実は
家族でも友達でも恋人でも同じだろう。
近すぎてしんどいなら、しんどくないところまで離れるしかない
親と同居していて喧嘩ばかりしていたり、自分が気分よく生活できないなら
別々に暮らすしかないんだ。
でもそれは相手のことを嫌うってことや見捨てることとは違う
それがお互いのためだからすること。
もっと言えば、よくゲームやアニメのパターンである「この伝説の剣は勇者にしか引き抜けない」っていうのと同じで、
その人とそれ以上の距離に入るのはあなたではなかったということなんだろう

そしてそれはその人との関係が0ということとはも違う
高校の友達ともう二度とあわなくても、その人との高校の思い出が消えるわけじゃない
その時は楽しかった
今は会わない
思い出は残る
きっと高校の時のことを考えた時にきっと思い出して笑えるんだろう
もっと言えば
その友達の誕生日をいつまでも覚えていてFacebookで「おめでとう!」と言ったって
高校の時の関係が続いているとは言いがたいんだ。

特に人との間のことに関しては、「 ご縁」があると思っている
すきだからってその人と結婚出来るわけじゃない
結婚まで至らなかったら
ただ単純に縁がなかったんだろう
その時はね。

お金や時間があったらできることでも
少し無理をしてできることでも
少し他人にお金を借りたらできることでも
自分が一生懸命働いたら出来ることでも
「今現在」それがないなら
それはきっと「今」の自分の身の丈以上のことなんだ



一番大事なことは この「身の丈」は「今」のもので
将来変化する可能性が大いにあるということ。
今仲良くなれなくても将来は話が通じるかもしれないし
今はこなしきれない予定も将来はなれるかもしれないし
今はやりたくでもできないことでも未来の自分なら余裕かもしれない

身の丈以上のことをいま無理してやったからといって早くそれが出来るようになるとは思えない
そんな単純なことじゃないと思う
もっときっと「なんか知らないけどいつの間にかできてたこと」に近いんじゃないだろうか
例えば習った頃はあんなに難しかった因数分解や九九が今は簡単にできるみたいに。

身の丈以上のことをして一番しんどいのは自分だ
しんどいのが好きなドMなら止めないけれど
多くの場合は「自分はそれができる」って勘違いしてるものだと思う

できないことを自覚すること
そしてそのできないことは「今」できないことだから自分を責める必要はないこと

誰のせいでもない
ただ今できないだけ





私はね、本当にこっちにきて思ったのよ
身の丈以上のことをして見落としてることもあるんだなって。
いま両手に持てるだけのものを大事にしたい
今大事にできる人とだけ何度もあって大事にしたい
今楽しめることをしたい
海外旅行はきっと大人になってからのほうが余裕があって楽しい
体力があるのはいいけれど
きっと私は若くてお金が無いときに来ちゃったからこそやれてないこと、手が出せていないことがある。
予定をツメツメにするんじゃなくて、
一日の予定が少なくてもそれをミスなく(遅刻など)こなせる一人前になりたい

2016年はね、またきっと違うわたしなんだと思うよ

2016/01/01