大力餅食堂にて、昼食を取っていると、


「校長」と大きな声がした。味噌汁の湯気で曇ったメガネをはずし、声の主を探した。



ニコニコ笑うタカヤマがカウンター席に座っていた。京進小中部の出身である彼は、「教室長」とか「先生・・」と言わないで、僕を「校長」と呼ぶ。



「こんな所で会うなんて・・」と驚いた表情を見せ、


「校長はひとりやから、ここで飯、食べてるん?」と話す彼に店じゅうの視線が集まる。



屈託なく話すタカヤマに「恥ずかしいから大声で話さないでくれ」と僕は声を潜ひそめた。



クリーニング屋に出向くと、パートで働く保護者に会った。なんとなく気まずく、「汚れの首輪」のシャツを差し出すのも、悪いような気がした。



松尾駅で、そして路上で、保護者や生徒に出会うことも増えてきた。



顔が広くなるにつれて、保護者から「ママ友の子どもが浪人をするらしいのです・・先生のところで預かってもらえませんか?」と打診を受けたり、妹、弟を教室に通わせていただくことになったりと、徐々にこの地に根を張りはじめたと感じる。



それはとても有難いことなのだが、



寝癖のついた頭で近所に買い物に出かけることや寝巻きのような服でうろつくことも、はばかられるようになってきた。



長く生活したシドニーでは、裸足で隣のコンビニまで買い物に行く大学生や、Tシャツの首の部分が伸びていても気にしないオヤジもいたし、水着にバスタオルという姿でバスの乗り込んでくる女子高生にも会った。その人目を気にしないEasy goingな人々が好きだった。


そういうことで、(論理の展開がおかしい、と思う人もいるだろうが・・)




髪の毛がとんでいようと、破けた短パンで歩いていようが、「カンザキだから仕方がない」とか「海外生活が長かったインターナショナルな奴だから・・・」と無理やりこじつけて、広い心でお付合い願えないだろうか・・・



・・・と最近、保護者、生徒に近所で会うたびに思う。