土曜日、関目で授業をしていると、母からの電話が鳴った。
「親戚のおばあさんが亡くなった」という。88歳であったし、天寿をまっとうしての旅立ちだ。それで急遽、四国へ帰えることになった。
父の葬儀以来、5年ぶりに会った叔母が「年を取って死ぬと、悲しみが深くなくていいわね」と静かに言った。
眠るように横たわっている顔は安らかだ。
その顔を見ながら、「あちこちが傷んできたけど、こんな風にして、えっちら、おっちら、年齢の階段を上ってきて、85歳になった。人生、なんとかなるもんじゃ」と数年前に話したのを思い出した。
戦後の激動の中、4人の子どもを育て、さぞかし大変だったろう、と思ったが、その笑顔は穏やかだった。
親戚一同に涙もなく、穏やかなお別れの会が営なまれている中、母一人が、メソメソ泣いていた。「私も後、十数年も生きると、こんなになるのかね?」とぽつりともらす母に「もうそれだけ生きたら、十分やろ・・」と思ったが、何も言わなかった。
大半の顔ぶれが、父の葬儀のときに会って以来だから、と思うと時の流れの速さに驚く。父は先生が尊敬を受ける時代に、中学の校長をしていた。田舎の小さな街で、何十年も先生をしていた父の人望は厚く、多くの人が参列してくれた。葬儀が行われる時間になると、300名が収容できる葬儀会場から人があふれ出し、ロビーと会場をしきる後部ドアをすべて開放した。
国会議員の代理でやって来た秘書、県会議員といった偉い人の顔もちらほら見えたが、大半が、近所の人、同僚、教え子、親交があったゴルフ仲間たちだった。私利私欲なく父と付き合ってくれた人々だ。参列者の多さは、生前、いかに父が愛されていたのか?の表れであり、最後に「人に死に方あり」と父に教えてもらったような気がした。
人は生まれ、いつか死ぬ。若くして不慮の事故で亡くなるといったことでなければ、葬式も悪いものじゃない。通夜の席では、十年も会っていなかった遠戚とも言葉を交わした。故人の話をしながら、親戚縁者が共に食事をする。死者から生ある者への最後の計らいなのかもしれない、と思いながら、ビールを口に運んだ。
寒さと疲れから、体調を崩したが、最後の別れができて良かった。義理が果たせて、ホッとした気持ちで帰洛した。
「親戚のおばあさんが亡くなった」という。88歳であったし、天寿をまっとうしての旅立ちだ。それで急遽、四国へ帰えることになった。
父の葬儀以来、5年ぶりに会った叔母が「年を取って死ぬと、悲しみが深くなくていいわね」と静かに言った。
眠るように横たわっている顔は安らかだ。
その顔を見ながら、「あちこちが傷んできたけど、こんな風にして、えっちら、おっちら、年齢の階段を上ってきて、85歳になった。人生、なんとかなるもんじゃ」と数年前に話したのを思い出した。
戦後の激動の中、4人の子どもを育て、さぞかし大変だったろう、と思ったが、その笑顔は穏やかだった。
親戚一同に涙もなく、穏やかなお別れの会が営なまれている中、母一人が、メソメソ泣いていた。「私も後、十数年も生きると、こんなになるのかね?」とぽつりともらす母に「もうそれだけ生きたら、十分やろ・・」と思ったが、何も言わなかった。
大半の顔ぶれが、父の葬儀のときに会って以来だから、と思うと時の流れの速さに驚く。父は先生が尊敬を受ける時代に、中学の校長をしていた。田舎の小さな街で、何十年も先生をしていた父の人望は厚く、多くの人が参列してくれた。葬儀が行われる時間になると、300名が収容できる葬儀会場から人があふれ出し、ロビーと会場をしきる後部ドアをすべて開放した。
国会議員の代理でやって来た秘書、県会議員といった偉い人の顔もちらほら見えたが、大半が、近所の人、同僚、教え子、親交があったゴルフ仲間たちだった。私利私欲なく父と付き合ってくれた人々だ。参列者の多さは、生前、いかに父が愛されていたのか?の表れであり、最後に「人に死に方あり」と父に教えてもらったような気がした。
人は生まれ、いつか死ぬ。若くして不慮の事故で亡くなるといったことでなければ、葬式も悪いものじゃない。通夜の席では、十年も会っていなかった遠戚とも言葉を交わした。故人の話をしながら、親戚縁者が共に食事をする。死者から生ある者への最後の計らいなのかもしれない、と思いながら、ビールを口に運んだ。
寒さと疲れから、体調を崩したが、最後の別れができて良かった。義理が果たせて、ホッとした気持ちで帰洛した。