hadheadを発音してよ」


「なぜ? had  head・・」


「連続して何度も言ってみてや」


had head had head had・・・」













何がおかしいいのか、中学生3名が床に崩れ落ちるように笑った。「ヘッド、ヘッドに聞こえる~~おかしい~」













「先生、ちょっとなんでもええから、英語でしゃべってよ」













少し話してみせると、「外人みたいやな」と笑い、ちょっとリスペクトの表情を見せた。(聞く人が聞けば、僕の英語なんて、たいしたことはないとわかるのだが・・)













英語を話せることは、日本ではまだ、尊敬に値するらしい。そういえば、京橋のスターバックスでマリアンヌと英語で会話しているときも、「なんだ、このオヤジは??」という好奇の目で見られた。その当時、TOEICを梅田で教えていたが、英語を否応なしに習わされる中年のサラリーマンたちは、器用に英語を使いこなす僕に羨望の眼差しを向けた。













ハーバード大学をはじめとする優秀な大学で学ぶ日本人留学生は、毎年減っているという。「内向きな若者が増加している」というのが、その理由だと言うが、まだまだ、英語を使える人材が不足しているため、希少価値が高いのかもしれない。









受験に必要な英語は恐ろしいほど退屈で難解だが、英語でコミュニケーションを取るのは、そう難しいことではない。僕は洋画やロックミュージックが好きで、また海外の人と話したくて、英語をずっと追いかけてきた。何度も挫折したが、「継続は力なり」「好きこそ、物の上手なれ」とはよく言ったものだ。あきらめず英語と関わってきたお陰で、ペーパーバックが楽しめる域までは到達できた。













まずは、ペンギンブックスなどの簡素化された英語小説から始めて、長期で英語に触れることができれば、そして、英語を話す機会を求めれば、英語の扉は次から次へと開かれ、高みへと登って行ける。そうすれば、いずれ多くの海外の人々と異文化交流を楽しめるようになるだろう。













それは僕が通ってきた道であり、生徒諸君も「やろう」と思えば、やれることだ。











千里の道も一歩からという。その一歩がいずれ大きな花を咲かせ、世界を相手にすることのできる英語力となるのだ。そうなれば、英語を駆使して世界と戦う若者に支えられて、日本の未来と僕の老後は安泰だ。







頼んだよ。僕の生徒たち