「今」でなければならない事 | エスワン島 by s1o

「今」でなければならない事

明日からではなく今からやる。


よくそういった事が言われますね。

目標の達成に向けての行動を先延ばしにしない、という事。


ところが「今」というのは非常に鮮度の高い、いわば生ものなモノ。


「今」というのはまさに今過ぎ去っています。

鮮度が高すぎてすぐに過去になる。



つまり「今」で無ければならない確かな理由を見つけなければ

案外「今」からスタート出来ないものなんですね。


例えばダイエットや禁煙だって意思の問題だけであって、

はっきり言って明日からでいいですもんね。



結局「今」しか出来ない理由を探す難しさに

翻弄されているんじゃないか、という事です。



本当に今じゃなければならないのか、

明日じゃダメなのか、を真に理解する事は非常に難しいでしょう。



きっとそれに気づけるのは

今すぐ実行しなければならない末期症状の人、

または明日より今でなければ成功しなかった、

という経験をたくさん持った人。


つまり結局のところ経験なんですよね。



偉人の言葉というのはシンプルですが

その背景にはたくさんの経験・実体験が詰まっています。


言葉の先に秘められた本質を理解するには、

やはり同じような境遇に身を置いて経験をしなければ

真の意味は理解出来ないものです。



そして個々の経験は十人十色ですから、

個に示すべき正しい判断は本当のところ誰にも分からない。


だから偉人の言葉はシンプルであり、

本質を隠したファジーなものになったりするんでしょうね。



そういえば話が戻りますが「今」をつぶやくtwitter。

賞味期限は2分のようです。


つぶやいた内容は2分後には他のつぶやきで

もみ消されていく。



やっぱり「今」というのは鮮度が高い。


本当に「今」である必要があるとしたら、

それはいったいどんな事なんだろう。



対外の事は「今」でなくても良いかも知れない。

「今」というのは最も大切とされる時間の中でも究極の部分。



人にとって「今」でなければならない事は

もしかしたら「死」につかさどる事なのかも知れないですね。




死を意識したら、絶対に今やれますからね。