病気は成長の種
昨日は久しぶりに交流会に参加しまして、
色々な方とお話できました。
もともと交流会が苦手な私です。
ファーストインプレッションが決して良くないので・・・汗
ただ色々お話していると、皆さん本当に共感してくれる。
病気をしたことによって、私に与えられた使命は
人と出会う事で邁進するような気さえします。
いつも言っているんですが使命は
自分のためには実行出来ない事ですから、
死を考えなければ使命感は芽生えません。
自分以外の誰かや、自分以外の何かに対してのゴールこそ使命。
普通には考える必要の無い感覚。
私も病気しなければ考える事も無かったでしょう。
きっと行きながらに死んでいく人生であった事は間違いありません。
今はビジネス同様、逆算で人生も生きていますが。。。
変な話ですが、、、
本当に病気して良かった。
正確には病気と正面から付き合えて良かった。
もちろん健康に越した事はありません。
未だ運動は自由に行う事は出来ませんし、
大好きなサーフィンもやれていません。
子供の運動会でカッコよく一等賞を決めるのが夢でしたし。
さらにスポーツが出来ない事でストレスも溜まったし、
何より普通に誰でも出来る事を、毎回血液採って考えながら
行動しなければならない自分に対してネガティブになった事もあります。
何故自分だけ。。。と。
今なんでもお願いが出来るとしたら
「永遠の健康」と迷い無く言いますし。
ただ病気は人を育てる。
子も人を育てる。
摩擦は人を育てます。
正確には摩擦を乗り越える忍耐は人を育てます。
忍耐を育てるためにも
前向きにその摩擦を捉えられるかどうかは非常に重要。
摩擦から逃げてしまっては経験は積む事が出来ない。
それは成長の芽を潰すも同じです。
忍耐が無いですから。。
私に与えられたあの原因不明な病気は
私が本当に心から成長し、強い忍耐を身につけ、
その摩擦が必要なくなったとき、きっと治るんだと思っています。
それくらい私はある意味未熟だったんだと思っています。
与えるべくして与えられたんでしょう。
ただ去らない嵐は無いですし、
無意味な事はこの世に存在し得ないですからね。
人に一番重要なのは忍耐。
生き物の中で忍耐できるのは人しかいないのですから。